勝俣部長の「ため息」4783回・・・・米穀通帳

6月4日 火曜日

 

      新橋 入社したとき 1966年 58年前 既に在った古くかの飲み屋さん

 

 

天才老人美しさを求め行く

    お 米

 

 今の人はどうか知らないが・・・・我々世代は、とにかくお米、お米で有る、有った。

 何が無くともお米であり・・・・私の精神は、今もそうである。

 古い記憶・・・・その大切なコメが、自由に買えなかった。

 多分、農家を除く・・・・全国民は配給制。

 米穀(配給)通帳の下に・・・・厳しく管理されていた。

 私の家は親子6人・・・・全員のお腹が満たされ配給量には、とても及ばなかった。

 ゆえにコメの代わりになる代用食・・・・その主役がサツマイモ。

 山梨の場合は、もう1つの主役が小麦粉で作る「ほ・う・と・う」。

 毎日、サツマ、ほうとう・・・・食べていた記憶が残る。

 今でも、サツマを好んで食べないのは、その経緯があるからも知れない。

 後年、母親から聞かされたが、

 ・農家さんに行き、着物とお米を物々交換したと言う

 ・(ヤミ)米が横行していたと言う・・・・今はヤミバイトじゃんな

 急になぜお米か?

 昨日、スーパーにお米を5kg買いに行った。

 かなりな種類がズラリと並ぶ・・・・。

 その光景をみたら・・・・突然、昔が飛び出てしまった。

 昔は、並んだのは米で無く、買う人々。

 今、米穀通帳は要らない、自由自在、欲しいだけ求められる。

★災害用品・・・・茶碗、鍋、卓上ガスボンベ、水、醤油、味噌さえあれば・・・・。

 詰り・・・・特別に用意するモノは何も無い、普段通りのままで良い。

 食に関する防災訓練は米穀通帳時代・・・・かなりちっくい時代に、日々、していたのである(笑)

  *ちっくい:山梨方言で「小さい」

つづきます。

 本日の話は越後のお様、多分、みっくん母さんだけは・・・・法権外に居たのかも知れない。

 

 

 

 お米は不自由でも 水だけは山ほどに