6月4日 火曜日
新橋 入社したとき 1966年 58年前 既に在った古くかの飲み屋さん
天才老人美しさを求め行く
お 米
今の人はどうか知らないが・・・・我々世代は、とにかくお米、お米で有る、有った。
何が無くともお米であり・・・・私の精神は、今もそうである。
古い記憶・・・・その大切なコメが、自由に買えなかった。
多分、農家を除く・・・・全国民は配給制。
米穀(配給)通帳の下に・・・・厳しく管理されていた。
私の家は親子6人・・・・全員のお腹が満たされ配給量には、とても及ばなかった。
ゆえにコメの代わりになる代用食・・・・その主役がサツマイモ。
山梨の場合は、もう1つの主役が小麦粉で作る「ほ・う・と・う」。
毎日、サツマ、ほうとう・・・・食べていた記憶が残る。
今でも、サツマを好んで食べないのは、その経緯があるからも知れない。
後年、母親から聞かされたが、
・農家さんに行き、着物とお米を物々交換したと言う
・闇(ヤミ)米が横行していたと言う・・・・今はヤミバイトじゃんな
急になぜお米か?
昨日、スーパーにお米を5kg買いに行った。
かなりな種類がズラリと並ぶ・・・・。
その光景をみたら・・・・突然、昔が飛び出てしまった。
昔は、並んだのは米で無く、買う人々。
今、米穀通帳は要らない、自由自在、欲しいだけ求められる。
★災害用品・・・・茶碗、鍋、卓上ガスボンベ、水、醤油、味噌さえあれば・・・・。
詰り・・・・特別に用意するモノは何も無い、普段通りのままで良い。
食に関する防災訓練は米穀通帳時代・・・・かなりちっくい時代に、日々、していたのである(笑)。
*ちっくい:山梨方言で「小さい」
つづきます。
本日の話は越後のお姫様、多分、みっくん母さんだけは・・・・法権外に居たのかも知れない。
お米は不自由でも 水だけは山ほどに