勝俣部長の「ため息」4647回・・・・悲惨な思い出

1月18日 木曜日

 

          妻沼聖天山歓喜医院」 撮:2023.12

 

 

   天才老人美しさを求め行く

どんどん焼き

 

 正月に飾った松飾・・・・しめ縄、松、竹など一式、各家から集めて、積み上げて

焼く行事。

 焼き上がる炎に・・・・米粉で作った紅白の団子を焼く。

 燃え盛る火の熱いが強いから・・・・団子を竹竿の先にぶら下げて焼く。

 持ち帰って家族全員で食べる。

 迎える1年の健康を祈る。

 住んでいた山梨県南巨摩郡鰍沢(カジカザワ)では・・・・。

 その行事を・・・・どんどん焼きと呼んでいた。

 昨日のニュース・・・・その行事が未だ残る所があり、どんと焼きと報じていた。

 懐かしい思い出である。

  (田富でも行われていたと思うが何と呼んだのだろうか?)

 鰍沢の場合・・・・集めた松飾を3階~4階建てに組み、積み上げた。

 1階では餅を焼いて食べたりもした。

 全部で5基前後、部落毎のどんどんが・・・・川岸に並ぶ。

 一斉に燃え上がり・・・・火の粉が舞う。

 火の粉を浴びれば健康になる・・・・大人も子供も火の粉を浴び求める。

 食べ物も、着る物も不自由な時代であった。

 そうそう・・・・前年に書き上げた書道(習字)の用紙を放り込み焼く。

 字が上手くなると言う・・・・。

 毎年、毎年・・・・一生懸命に放り込んで見た。

 アレはウソだ・・・・80才に育ちあがったオッチャンの証明である。

 鰍沢のこの行事・・・・部落毎の競い合いが激しくなった。

 激しい余り、行事の前の夜・・・・ある部落のどんどんが焼かれてしまった。

 泊まり込み役の見張り役の1名が・・・・焼け死んだ。

 以来・・・・行事は中止。

 懐かしくも・・・・悲惨な思い出でが残る。

 つづきます。

 

 

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