4月6日 水曜日
好き勝手に 言いたい放題
罫 線
勝俣部長・・・・とても不思議な経験を持つ。
1966年・・・・今から51年前、山梨県片田舎出身の勝俣青年・・・・晴れて、花の都東京で社会人1年生になった。
真っ先に直面した(味わった)地獄は、
・電話の応答が なってない(デタラメ)
・文章(報告書)が書けない
(今なら打てない って言うのかな)
・文章の文字が 超悪筆
この3重苦に、喘(アエ)ぎに、喘いだ。
コレは地獄だ・・・・まさに地獄の毎日であった。
猪突猛進・・・・。
・本を片っ端から読む
・「ここだ」と思う箇所を書き出す
・用紙の罫線に忠実に沿いながら
・恐る恐る真似書きする。
言うならば、公然カンニング罪である。
書きだしたノートは4・5冊くらいになった筈・・・・本当のノートパソコンである。
そうこうする内に、不思議な現象が起きて来た。
あんなに頼りに頼った、用紙の「罫線」が邪魔になって来たのである。
邪魔で邪魔でたまらい。
(当時)B−5版の、あるいはB−4版の、真っ白な紙の上に、自由に書けなければ、気が済まない・・・・こんな気持ちになってしまった・・・・コレって成長かな。
考えたら物を書くって事は・・・・本来はこんな事かも知れない。
・隙あらば 人様を登用
・あるいは丸写し(卒論)
これって自分の意志で「書く」って事かいな・・・・。
勝俣君の最初と同じで、書くじゃ無く、」「真似る」じゃんな。
ところが、この「真似て」、「真似て」、「真似続ける」と・・・・何れ罫線の無い(真似不要の)、自分が出て来るのだ・・・・。
真似乞食こそ、自らで書くための・・・・詰まり真似しないための、スタート地点である。
そして何とか書けるようになると、心だけは乞食から脱却出来る・・・・脱却型真似乞食が完成する。
本日は、体験的自慢話でありまする。
つづく。
水を 静かに飲みましょう