勝俣部長の「ため息」2199回・・・・真似乞食

4月6日 水曜日



好き勝手に 言いたい放題
    罫 線


 勝俣部長・・・・とても不思議な経験を持つ。
 1966年・・・・今から51年前、山梨県片田舎出身の勝俣青年・・・・晴れて、花の都東京で社会人1年生になった。
 真っ先に直面した(味わった)地獄は、
  ・電話の応答が なってない(デタラメ)
  ・文章(報告書)が書けない
   (今なら打てない って言うのかな)
  ・文章の文字が 悪筆
 この3重苦に、喘(アエ)ぎに、喘いだ。
 コレは地獄だ・・・・まさに地獄の毎日であった。
 猪突猛進・・・・。
  ・本を片っ端から読む
  ・「ここだ」と思う箇所を書き出す
  ・用紙の罫線に忠実に沿いながら
  ・恐る恐る真似書きする。
 言うならば、公然カンニング罪である。
 書きだしたノートは4・5冊くらいになった筈・・・・本当のノートパソコンである。
 そうこうする内に、不思議な現象が起きて来た。
 あんなに頼りに頼った、用紙の「罫線」が邪魔になって来たのである。
 邪魔で邪魔でたまらい。
 (当時)B−5版の、あるいはB−4版の、真っ白な紙の上に、自由に書けなければ、気が済まない・・・・こんな気持ちになってしまった・・・・コレって成長かな。
 考えたら物を書くって事は・・・・本来はこんな事かも知れない。
  ・隙あらば 人様を登用
  ・あるいは丸写し(卒論)
 これって自分の意志で「書く」って事かいな・・・・。
 勝俣君の最初と同じで、書くじゃ無く、」「真似る」じゃんな。
 ところが、この「真似て」、「真似て」、「真似続ける」と・・・・何れ罫線の無い(真似不要の)、自分が出て来るのだ・・・・。
 真似乞食こそ、自らで書くための・・・・詰まり真似しないための、スタート地点である。
 そして何とか書けるようになると、心だけは乞食から脱却出来る・・・・脱却型真似乞食が完成する。
 本日は、体験的自慢話でありまする。
 つづく。



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