4月17日 月曜日
折角、生きてるんだから
諺も変わるか?
(諺:ことわざ)
昭和人間・・・・勝俣部長。
過去、遺物・・・・になりはじめつつ有るか・・・・僻(ヒガ)みであるか。
俄(ニワ)かに分からず・・・・今を生きる。
昔にこんな言葉がある。
・手が届く様な
・一を聞いて拾を知る
利発な奴、機知に富んだ奴、気の利く奴・・・・の代名詞である。
毎週火曜、金曜・・・・顔を出す飲み屋の店長。
40才前なのに・・・・この2つの言葉を兼ね備える。
例えば先日の事である。
揚げ出し豆腐、一丁、揚げて貰う、オーダーを発する。
最後に更に・・・・食べ易く、カットを増やしてと・・・・付け足そうとした。
瞬間、店長・・・・分かってますよ勝俣さんと、我が口を制す。
出て来た揚げ出し豆腐・・・・我が意図した通りに出される。
しかも客人と分けて、別の皿に乗せると言う、気の遣い様。
これはモウ・・・・感激モン、感動モンである。
一事が万事この店長・・・・一を聞いて、拾の結果に繋げる。
私から見れば、
・他の人は及ばない
・レシピに事細かに記載不可能な
・正(マサ)なる能力
である。
30才そこそこにして・・・・店長に昇格したのも頷(ウナズ)ける。
スマホジャックされる中で呼吸して行く・・・・これからの若者・・・・。
100を聞いて、一つだに知るを知らず・・・・になるかも。
時代と共に諺(コトワザ)も進化する。
ところで、本当に進化・・・・なのだろうか。
昭和人間、ひたすらなる、僻みであるか?
つづきます。
*本日、九州、小倉に向かいます、明日ブログお休み致します。
昨日、JR東日本交響楽団 聞いて参りました 水が更に美味しいでした