勝俣部長の「ため息」4379回・・・・僻み、俄か、頷く

4月17日 月曜日

 

           下野薬師寺護国寺」 撮:2023.03

 

 

折角、生きてるだから

諺も変わるか?

 (諺:ことわざ)

 

 昭和人間・・・・勝俣部長。

 過去、遺物・・・・になりはじめつつ有るか・・・・(ヒガ)みであるか。

 (ニワ)かに分からず・・・・今を生きる。

 昔にこんな言葉がある。

  ・手が届く様な

  ・一を聞いて拾を知る

 利発な奴、機知に富んだ奴、気の利く奴・・・・の代名詞である。

 毎週火曜、金曜・・・・顔を出す飲み屋の店長。

 40才前なのに・・・・この2つの言葉を兼ね備える。

 例えば先日の事である。

 揚げ出し豆腐、一丁、揚げて貰う、オーダーを発する。

 最後に更に・・・・食べ易く、カットを増やしてと・・・・付け足そうとした。

 瞬間、店長・・・・分かってますよ勝俣さんと、我が口を制す。

 出て来た揚げ出し豆腐・・・・我が意図した通りに出される。

 しかも客人と分けて、別の皿に乗せると言う、気の遣い様。

 これはモウ・・・・感激モン、感動モンである。

 一事が万事この店長・・・・一を聞いて、拾の結果に繋げる。

 私から見れば、

 ・他の人は及ばない

 ・レシピに事細かに記載不可能な

 ・正(マサ)なる能力

である。

 30才そこそこにして・・・・店長に昇格したのも(ウナズ)ける。

 スマホジャックされる中で呼吸して行く・・・・これからの若者・・・・。

 100を聞いて、一つだに知るを知らず・・・・になるかも。

 時代と共に諺(コトワザ)も進化する。 

 ところで、本当に進化・・・・なのだろうか

 昭和人間、ひたすらなる、僻みであるか

 つづきます。

 

*本日、九州、小倉に向かいます、明日ブログお休み致します。

 

 

 昨日、JR東日本交響楽団 聞いて参りました 水が更に美味しいでした