勝俣部長の「ため息」4378回・・・・無常感

4月16日 日曜日

 

         下野薬師寺 隣接「安国寺」 撮:2023.03

 

 

 

折角、生きてるだから

 見舞う・・・・

 

 *見舞う:狭義では災害や病気で苦境にある人を

      慰問する事を指す(新明解国語辞典

 

 昨日、新横浜で、あるご夫妻と昼食を共にした。

 旦那殿とは・・・・40年来の付き合い(私より4才年下)。

 冒頭の見舞いの候・・・・「お見舞い昼食会」と言ったところである。 

 お見舞い、病気見舞い、入院見舞い、手術見舞い・・・・最後の見舞い。

 考えたら我々は、事ある度に見舞いなる気持ちを持ち、作法の行動を起こして来て

いる。

 、思った事は・・・・。

 若い時代のお見舞いと、今、この年になってかたの見舞いとは違う。

 激しく違う局面を持つ(持ってしまう)。

 一般論として・・・・若い時分の見舞いは、回復に向かう状況にある(場面が多い)。

 互いが高齢になった今・・・・昨日の見舞い、その相手は・・・・。

 1駅程度なら電車に乗れ、食事が楽しめる状態にはあるが・・・・。

 回復は・・・・奇跡を待つのみである。

 直腸がん、手術、2か所転移・・・・余命宣告受ける。

 面と向かって見たものの・・・・なかなか向ける言葉は見つからない。

 高齢者が高齢者を見舞う・・・・。

 無常・・・・よく解らないがただひたすら無常、仏教と全く縁無(エンナ)きであるが無常。

 無常・・・・この言葉に置き換わる言葉は無い・・・・場面に出会う事である。

 ★明日、17日~、九州、小倉、3つ年下の実弟、入院中。

 無常の見舞いになる・・・・の報告は受けている。

 無常感・・・・出会う、知る、居たたまれない心、動揺する心。

 心を片付け行く事

 これこそが今流行りの言葉・・・・「終活」ではないかと・・・・。

 場面が多くなる「に」、違いない・・・・。

 可能な限り心を込め、勉(ツト)めたい。

  つづきます。

    

  *何やら外ならぬブログとなりましたが、生きる者の責務として

   逃げる事無く向かい合います。

 

 水を飲む