4月16日 日曜日
下野薬師寺 隣接「安国寺」 撮:2023.03
折角、生きてるんだから
見舞う・・・・
*見舞う:狭義では災害や病気で苦境にある人を
慰問する事を指す(新明解国語辞典)
昨日、新横浜で、あるご夫妻と昼食を共にした。
旦那殿とは・・・・40年来の付き合い(私より4才年下)。
冒頭の見舞いの候・・・・「お見舞い昼食会」と言ったところである。
お見舞い、病気見舞い、入院見舞い、手術見舞い・・・・最後の見舞い。
考えたら我々は、事ある度に見舞いなる気持ちを持ち、作法の行動を起こして来て
いる。
で、思った事は・・・・。
若い時代のお見舞いと、今、この年になってかたの見舞いとは違う。
激しく違う局面を持つ(持ってしまう)。
一般論として・・・・若い時分の見舞いは、回復に向かう状況にある(場面が多い)。
互いが高齢になった今・・・・昨日の見舞い、その相手は・・・・。
1駅程度なら電車に乗れ、食事が楽しめる状態にはあるが・・・・。
回復は・・・・奇跡を待つのみである。
直腸がん、手術、2か所転移・・・・余命宣告受ける。
面と向かって見たものの・・・・なかなか向ける言葉は見つからない。
高齢者が高齢者を見舞う・・・・。
無常・・・・よく解らないがただひたすら無常、仏教と全く縁無(エンナ)きであるが無常。
無常・・・・この言葉に置き換わる言葉は無い・・・・場面に出会う事である。
★明日、17日~、九州、小倉、3つ年下の実弟、入院中。
無常の見舞いになる・・・・の報告は受けている。
無常感・・・・出会う、知る、居たたまれない心、動揺する心。
心を片付け行く事。
これこそが今流行りの言葉・・・・「終活」ではないかと・・・・。
場面が多くなる「に」、違いない・・・・。
可能な限り心を込め、勉(ツト)めたい。
つづきます。
*何やら外ならぬブログとなりましたが、生きる者の責務として
逃げる事無く向かい合います。
水を飲む