上野「寛永寺」の梵鐘 撮:2020.10
12月13日 日曜日
折角、生きてるんだから
何と無く 感ずる
今年春先に発令された、コロナ禍による緊急事態宣言。
そのさ中さえ、ほぼ毎週土曜日、ガラ空きの店を物色し、飲み屋に通っている。
これだけ騒がれ、老人が重症化する報道を聞くと、命懸けの行為である(あった)。
その命を懸けて肌に感じた結果・・・・1つ分かった事がある。
行く店、行く店・・・・殆ど店の対応が、実に優しくなったことである。
(一応)のお客であっても、実に優しく取り扱ってくれる。
その優しさの、人間風を、何と無く感じるのである。
しかも、かってには無い・・・・席と席の、ゆったり感を持つほど良い距離間。
感じは・・・・ちょうど良さ、である。
コロナ以前は・・・・客を客と思わない態度に腹を立て、飛び出た事が何度もあったが・・・・今、それは無い。
コロナの結果・・・・真の、お客様は神様(三波春夫)が、実現しつつある。
ただである・・・・この先、コロナ禍が更に進行すると・・・・その優しさは、
ヤケノヤンパチ
に発展し・・・・命の危険に晒されるように・・・・ならないとも限らない。
世の習いとして・・・・ちょうどの良さは、長続きしたことが無い。
以上・・・・コロナ下(禍)の飲み屋紀行でした。
つづきます。
百薬の長とは 水と共の お酒の場合です