5月18日 月曜日
「別所沼公園」 撮:2020.5
折角、生きてるんだから
家 庭 場 所
またまた新型コロナウイルス。
大相撲・・・・先場所は無観客でどうにか開催されたが、今場所は無理。
今までの当たり前の、当たり前から・・・・当たり前が撤去されてしまった。
文句なんか言って無いで・・・・こう思う(割り切る)しか無い。
若干の時間的猶予は認められるものの、納税だけを別にして、全てが、当たり前で
無くなった。
義務教育でさえ・・・・当たり前が撤去された。
つい先頃までは教育は義務・・・・学校に行くのが当たり前であった。
身近では勝俣部長の孫(長男の長男)・・・・高校入学は果たしたのだが・・・・足止めを喰っている。
本人はもとより、家族全員が落ち着かないだろう・・・・。
こう長期間になると・・・・当たり前が無くなった「時代」だ、と言えよう。
新時代である。
新時代だから・・・・詰まり当たり前の無い時代だから、違う当たり前を作るしか無い。
新時代の子供教育は・・・・家庭力(親力)である。
新時代・・・・子供の教育は学校では無く、進学塾でも無く・・・・家庭が、詰まり親が
受け持つ、しかない。
コレは・・・・凄く自然なこんであり、形である。
*こん:山梨弁で「事」の意
家庭力は・・・・コロナ災害が長引けば、長引くほど・・・・とんでもないほどの差が着く。
その差は、金力の差では無い・・・・知恵の差である。
政府のやり方が悪い、何が悪い、アレが悪い・・・・そんな事を言うのは10秒ほどにして・・・・。
とっとと子供教育の・・・・家庭場所(親場所)を開催しよう・・・・。
この場所の良いところは・・・・親の知恵一つで・・・・ある意味・・・・全国的にかなりの平等性が持てるところである。
つづきます。
今日も飲むのは 夜のお酒と 24時間の水