勝俣部長の「ため息」3256回・・・・知恵の差

5月18日 月曜日

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                                     「別所沼公園」 撮:2020.5

 

 

 

折角、生きてるだから

  家 庭 場 所

 

 またまた新型コロナウイルス

 大相撲・・・・先場所は無観客でどうにか開催されたが、今場所は無理。

 今までの当たり前の、当たり前から・・・・当たり前が撤去されてしまった。

 文句なんか言って無いで・・・・こう思う(割り切る)しか無い。

 若干の時間的猶予は認められるものの、納税だけを別にして、全てが、当たり前で

無くなった。

 義務教育でさえ・・・・当たり前が撤去された。

 つい先頃までは教育は義務・・・・学校に行くのが当たり前であった。

 身近では勝俣部長の孫(長男の長男)・・・・高校入学は果たしたのだが・・・・足止めを喰っている。

 本人はもとより、家族全員が落ち着かないだろう・・・・。

 こう長期間になると・・・・当たり前が無くなった「時代」だ、と言えよう。

 時代である。

 新時代だから・・・・詰まり当たり前の無い時代だから、う当たり前を作るしか無い。

 新時代の子供教育は・・・・家庭力(親力)である。

 新時代・・・・子供の教育は学校では無く、進学塾でも無く・・・・家庭が、詰まり親が

受け持つ、しかない。

 コレは・・・・凄く自然なこんであり、形である。

  *こん:山梨弁で「事」の意

 家庭力は・・・・コロナ災害が長引けば、長引くほど・・・・とんでもないほどのが着く。

 その差は、金力の差では無い・・・・知恵の差である。

 政府のやり方が悪い、何が悪い、アレが悪い・・・・そんな事を言うのは10秒ほどにして・・・・。

 とっとと子供教育の・・・・家庭場所(親場所)を開催しよう・・・・。

 この場所の良いところは・・・・親の知恵一つで・・・・ある意味・・・・全国的にかなりの平等性が持てるところである。

 つづきます。

 

 

 今日も飲むのは 夜のお酒と 24時間の水