勝俣部長の「ため息」782・・・・賢さに 進歩は無い

1月4日 金曜日 仕事始め

                                         



    大切な事(健康)は 手遅れになってから 分かる
1860年代  たかだか150年前  のことである 


 正月3ケ日、・・・・「白虎隊〜敗れざる者たち」。
 テレビ東京2日放映の、長時間番組を録画した。
 勝俣部長、この長時間番組を、放映時間内に見る力は(気力と時間の配分)、とても無い。
 2日間に分けて、どうにか見終わった。
 戊辰戦争(1868〜1869ネン)に関する番組は、どうゆう訳か年末年始に多い。
 一度は「森重久弥」出演の、・・・・他の出演者は思い出せないだけのこと、・・・・同じストーリー(*焦点が同じ)ものを含め、何度か見ている。
   *西郷頼母(タノモ)家族と松平容保(カタモリ)に焦点
 その都度、今に呼吸する我々から数えて、「たかだか 150年にも届かな前の出来事」だと、不思議に思う。
 あの時代、仮に近代兵器があり、車があり、映像情報があり、携帯電話がありせば、・・・・間違い無く結果は、当時と違ったものになっていたと思う。
 西郷頼母家族(ほとんど女性)の、あの壮絶な「全員自害」は起こらなかったかも知れない。
 ただその違いが、果たして当時よりいい結果になったのか、より悪い結果になったのかは、・・・・誰も言い当てる事が出来ないのではないか、・・・・そう思う。
 いやいや、情報が(話し合い)十分取れていれば、・・・・少なくとも、殺し合って片を着ける事は無かった、・・・・と言い切れるのだろうか。
 歴史に対しては、・・・・後世からは、何とでも、勝手に言える。
 もしそうで無いとしたなら、「今が一番いい」、でなくてはならない。
 専門家さん、学術屋さん、・・・・多くの識者は、
  ・こうも
  ・ああも
言う。
 だとしたら、人間、少しは150年前より、賢くなっていていい筈である。
 ところが、人間の賢さは、時代と共に進歩する訳では無い。
 本質的には何ら変わらない。
 だって、現代版「戊辰戦争」は、質を変えて、今も起きているからである。
 してみると、たかだか150年前は、今と同意語になるのかも知れない、・・・・。
 つづく。

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