勝俣部長の「ため息」783・・・・外だけが 鬼では 無い

1月5日 土曜日

                                          



大切な事健康は 手遅れになってから 分かる
    想定外  想定内


 想定外(想定内)、・・・・言葉としては、勿論昔からあったのだろうが、・・・・勝俣部長の記憶では、
  ・一つは あの「ホリエモン」が
  ・決定的には 3.11大震災による 福島原発問題
 ここに端を発し、一段と身近な言葉になった気がする。
 してここに来て、想定外を無くそうとする努力と言うか、考えと行動が凄い。
 ことに、地震対策が顕著で、高さ20m以上の防波堤が必要だとか、何だとか、騒がれている。
 専門家屋さんが、「20mとか25m」とか、決して簡単では無いだろうが、・・・・簡単に言うが、これを実行するには、「莫大過ぎる」金が掛る。
 私なんか、識者の出す「想定内化」した対策を、実現する財力は、今の日本には無い、と思う。
 本来、想定の「外」にあるべき事を・・・・何を以て「本来」とするか分からない無責任さで言うと・・・・「内」に組み入れる事なんか、出来るものだろうか。
 イヤ、組み入れたとしても、財力が無く、事が成り立たなくては、想定外と同じである。
 よしんば、気の遠くなる程の努力をして(主として財力を指す)、想定内化が出来たとしても、完璧な対策が、人間の考える範囲で出来るものだろうか、・・・・おバカな勝俣部長、そう思ってしまう。
 早い話しが、
  ・毎年の交通事故による死者 5〜7千人
  ・毎年の自殺者 3万人
  (由々しき数である)
 毎年の事態であるだけに、これは立派な想定内の問題である。
 だから、誰一人として、想定外だったとは言わないし、言えない。
 ところが、判で押したように、毎年、毎年、同じ結果を持つ。
 詰りは、想定内であろうとも、「手の打ちようが無い」事がある、・・・・のである。
 「手の打ちようが無い(財力を含め)」ことを、・・・・想定内化しなければと、・・・・思うべきである。
 結局、「内・外」の境界線は、かなり怪しい事になるのでは無いのだろうか、・・・・。
 以上、本日の、訳の分からないブログは、私の想定外、・・・・イヤ 想定内でした、・・・・。
 つづく。

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