勝俣部長の「高尾登山と健康体質作り」608・・・・子供の成長は 親の成長は

6月27日 水曜日

                                   



  (「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
決めては 20才からの 成長力


 親が、我が子に関心を寄せるのは(成長に期待するのは)、普通、長く引きずっても、せいぜい大学に入る頃までである。
 会社に入り、結婚し、子供(孫)が生まれたら、関心の対象は、孫君達に移り出す。
 幼なき頃には、熱狂的なほどに
  ・ヤレ どこそこの 幼稚園
  ・ヤレ どこそこの 小学校 中学校
  ・ヤレ どこそこの 高校 大学
と、真剣に考え、激しく悩み、関心を寄せた目は、・・・・子供が20才前の辺りから、急速に減速する。
 しかしよく考えると、その子の人生は、・・・・極端に言えば、20才以前なんか、何処の幼稚園にはいろうが、どこの大学入ろうが、どうでもいいのである。
 その間は、その子の人生と言うよりは、その親の人生(的)であるからだ。
 問題は、成人式を過ぎた当たりからである。
 で、なければならないのに、・・・・成人式は、親の、子に対する「無関心の始まり式」になってしまう。
 肝心な事は、成人以降の子に対する親の目は、幼なきころの目ではダメ。
 「目力(メヂカラ」とでも言えばいいのか。
 子に密着する必要なんか、全く無い。
 むしろ、遠く離れて、しかも、目が力を持つ関心度、・・・・そんな、親の存在。
 分かり易い例えで言うと、
  ・オレオレ詐欺  
  ・振り込め詐欺
などが、瞬時に跳ね返せる、「目力」を持ち続ける事で有り、見続けてやることである。
 かっては、あんなに関心よせていあたのに、その後、何の「目力」も持ちえないから、詐欺に簡単に引っ掛かるのだ。
 こんな関係は、最早「親子関係」とは呼ばない、・・・・そう思えて仕方が無い。
 仮に、自分が没するまで、目力を持ち続ける事が出来たなら、それは、自分が、晩年まで元気で、聡明性を保てた事になる。
 だから、子供に生涯にわたり注ぐ目力は、子供の為と言うよりも、むしろ自分の為である。
 親子の存在の意味が、ここにある。
 結婚しても、子供なんかは要らないとするならば、・・・・その人達は、人生の90%を捨ててる、・・・・そう思う。
 我が子の20才からの成長性を、・・・・「お手並拝見」とばかり、遠くから眺めていればいい。
 ひょっとして、成功するかも知れない、・・・・荒波に飲まれて、失敗するかも知れない、・・・・どっちに転んでも、親は目力で見てるだけ。
 どっちも、その子の人生である。
 子は、20才以降からだ、・・・・。
 つづく。

fineaqua -- Home