7月4日 月曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
モノを盗られるのは困るが モノを置いて行かれるのは もっと困る
今年の始め頃からだろうか。
勝俣部長の家を始め、ドアを連ねる(15階建ての集合住宅)多くの家に、ミニ俵を3個縛った、・・・・多分配る方から見れば「大変な縁起モノ」が、黙って置かれている。
最初は一体誰がと思ったが、別に腐るもでも無し、小さいモノだし、少ないし、・・・・と言う事で部屋の隅っこに追いやっておいた。
ところがしばらくすると、またドア前に置いてある。
またまた置いてある。
こうなると、各家は堪(タマ)らない。
何とか、犯人(最早犯人だ)のご婦人を特定し、「止めて欲しい」旨を伝えた。
何でも知り合いの高齢のお婆さんが、カメラのフィルムケースの空を利用して、丁寧に作り上げたモノだと言う。
そのお婆さんの励みになるからと、件(クダン)のご婦人は、「皆さん喜んでますよ」と伝え続けているのである。
だからお婆さんは、ますます一生懸命になって作ってしまう。
確かに一つの人助けになるのかも知れないが、いい加減にして欲しいと、・・・・置かれる度にドヤシ付けたい気持ちに、・・・・悪いけれど、私はなる。
自分の生き甲斐を見出すときは、それが人様にどんな影響を与えるかを、知っておくべきであろう。
高尾登山は私の楽しみであるが、それが人様もそうに違いない、となると・・・・全く別問題である。
だから、たまにはご一緒させて下さいと言われ無い限り、単独登山が続く。
イヤ、一人で楽しめる術の獲得こそ、高齢化に向う必須条件に思えて仕方無いのであるが、・・・・。
つづく。