11月23日 火曜日 勤労感謝の日
(高尾山の紅葉もそろそろ見収めの気配です/ケーブル前広場/11月22日)
自分の食事の時と、人様(肉親を含む)に出すときの差
この両者の食事の作り方には、私の場合大変な差がある。
食事内容はたいして変わらないが、一番の差は「盛り着け」と言うか、丁寧さと言うか、・・・・そんな面の差である。
例えば、奴を(豆腐)食べる時、人様に出す時はそれなりの食器に盛り、大葉や薬味でアレンジして、小奇麗にして出す。
こでが自分一人だと、プラスチックの容器から出すのももどかしく、直接スプーンで掬って食べたりもしてしまう。
キャベツなんかも細かく刻まず、葉っぱ一枚をバリバリと食べてしまう。
つまりは、「緊張感」が無いとこうなるのだ。
食事に限らず緊張感が無いと、全ての面がこうなり易い、と思う。
定年退職して毎日が日曜日になったとき、一番困るのは、この「緊張感が欠如してしまう」事ではないか。
ステテコ一つで外に出てみたり、髭などもそのままにしたり、衣類が汚れようが平気でいたり、・・・・。
緊張感の連続は確かに疲れるが、緊張感が全く無いのはもっと悲劇的だと思う。
私は人様に、なるべく家に来て貰うように仕向けている。
美しく、美味く作った食事を(得意の自画自賛)、招いた酒好きの友と、お酒を飲みながら食べる、これがいいのである。
そして何を食べても、何を飲んでも最後は、「単なる水」で収める、・・・・これが高品格極まる勝俣部長の儀式である。
客人曰く、「あの、勝俣さん、お茶有りませんか」と・・・・。
にべも無く答える。
我が家には、「お酒と水」しか有りません・・・・と。
とにかう、困るほどに格好いい家で有るのだ。
つづく。
飲むなら「単なる水」です。
ミクロクラスター水「ファインアクア」なら申し分有りません