勝俣部長の「ため息」4880回・・・・だから、せめて

9月11日 水曜日

 

            大和郡山城 撮:2024.06

 

 

 天才老人美しさを求め行く

(のち)の人生

 

 天才老人凡句楽(ボンクラ)・・・・2022年3月、58年間の労働生活を終えた。

 本年3年目に入る。

 結論までに時間を要したが・・・・。

 どうやら2つの人生であると・・・・区切って見る事が出来そうである。

 随分、大層な言い方となるが・・・・。

 ・1つは58年間の 労働人生

 ・1つは (ノチ)の人生

 時間的には後の人生が、圧倒的に少ない。

 と言う事で・・・・今、後の人生を歩んでいる。

 謳歌しなければ勿体ない・・・・誰もが思うだろうが?

 ところが今までの、労働時代の価値基準が染み着いていて、儘ならない。

 最早、労働時代の効率的な価値観の追求は・・・・邪魔でしか無いのに?

 まさに、邪魔な精神である(と私は考える)

 全ての事象を・・・・お金と密着させてしまう。

 損得勘定で走る。

 その1つ・・・・人様にお見え戴く事も、そうかも知れない。

 お見え戴き、自慢気に自作料理を召し上がってのも、少なからずお金が掛かる。

 お金の精神が宿るから・・・・無意識に拒否、そうする行動が出来ないでいる。

 こう言うと・・・・お金が有るから出来るのだ、となる。

 である。

 もてなそうの心になれるから、出来るのである。

  ・性格は変えられそうも無いが、考え方と行動は変える事が出来る。

   (凡句楽「老いに向かっての精神」の出だし)

 どう考え、どう行動するかが・・・・後の人生のポイントとなる。 

 3年目に入り・・・・お金に縛られて来た考え方と行動から!

 やっと・・・・決別出来そうである。

 ただ常識的には・・・・余りにも僅かな時間しか、残っていない。

 だから・・・・せめて、なんとしてでもある。

 つづきます。

 

 

 

 じっくりと 水を飲む