勝俣部長の「ため息」963・・・・死ぬまで 成長

7月25日 木曜日

                              
                                   (風景:群馬県富岡市」)



手遅れになって 健康を知る
 子 供  と  


 勝俣部長・宅、・・・・昨夜「お一人様食事会」を開いた(年5回開催/既に4年目)。
 白幡クラブ(老人会)の会長さんを含め、5名が見えた。
 毎回、他愛の無い話しに、かなり盛り上がり、格好なストレス解消の場となる。
 そして、話しとして必ず登場するのが、いわゆる「孫達」の事である。
 メチャメチャ可愛いと言う。
 とにかく「可愛い」と言う言葉が、頻繁に登場する。
 多分、孫には、この言葉以外は適さない、・・・・そう思う風景が、昨夜も展開された。
 ところがへそ曲がりの勝俣部長、・・・・どうも「可愛い」と言う言葉にピンと来るモノがない。
 興味がある、・・・・むしろ、こっちの言葉の方に実感が沸く。
  ・ええ もう本を読むように なったのか
  ・ええ もう作文が 書けるのか
などの実感である。
 多分、としての「可愛さ」より、時間と共に成長することの「興味」とか、「楽しさに」に、感心が強烈に向くようだ。
  ・あいつ(孫) どのくらい 成長しただろうか
 会うたびに、こんな期待感を持つのも、・・・・いや持てるのも、たまに会うからだろうけど、・・・・それならたま、もいいかも知れない。
 さて、興味とか楽しみの感心度で行くと、私の場合は孫より、未だに子供方に、感心度は強く向く。
 これも多分であるが、・・・・孫が成長する以上に、子供がまだまだ、日々成長し続けているからかも知れない。
 さにあらず、まだまだ、日々成長しているのは、実は「勝俣部長」そのもである、・・・・と、実感出来る姿勢で進むように、心掛けているのであるが、・・・・果たして。
 人間、死にまで成長し続けれれば、最良にして最高、最大の人生、・・・・のように思う。
 今日も、何とかして成長するぞ〜う。
 つづく。


 成長の素は 何と言っても 「単なる水」ですぞ