5月21日 月曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
恥 という 法 律(自己規制)
「あらあら 敏彦さん そんな事をしたら 恥ずかしい よ」
子供のころ、よくこんな言われ方を、したものである。
・恥
・恥ずかしい
・みっともない
・世間様に顔が向けられ無い
など、沢山な言い方があったが、子供の成長に合わせた、法律(自己規制・軌範)とも言えるものだった。
いつしか、その諭(サト)し方が、すっかり身に沁み込み、一々注意されずとも、
・車内でお年寄りを見掛けたら「席」を譲り
・同じく車内で化粧することなどは、飛んでも無く「みっともない」事だと胸に刻み
・道にゴミなどは絶対投げ捨てない
そんな、社会風景が確率されていた。
第一、ある程度成長した場合、・・・・言われてから(注意されてから)「身を正す」事、自体が、恥、となって行ったのである。
自らで積極的に、社会性のある「箍(タガ)」を嵌めこみ、広く社会との調和を図って行ったのだ。
その風景は、何処に消し飛んでしまったのだろうか。
どんな理由で、消えてしまったのだろうか。
・戦後の教育
・履き違えた自由
・進む国際化(グローバルカ)
その他、様々な理由(わけ)があるのだろうけど、・・・・。
長男家族の家に、たまに行くことがある。
田園都市線「あざみ野」駅から、一駅だけ、横浜市営の地下鉄に乗る。
「みなさま 横浜市営地下鉄は 全ての座席が 優先席です」
乗車する早々、車内放送が響き渡る。
そんな事、
・言われて無くても、「当たり前」な時代が、かっての日本にはあった
・言われてから「ヤル」などは、恥じと思う、・・・・そんな人だらけであった
のであるが、・・・・。
何処かで、何処が、狂っちまった、・・・・。
教育の根本は、やはり、家庭に有る、・・・・断言する。
つづく。