5月22日 火曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
恥 という 法 律(自己規制) その2
勝俣部長の世代、・・・・我々は、躾として、
・恥
・恥ずかしい
・みっともない
・(本人と親を含め)世間様に申し訳ない
などの、法律(自己規制・規範)があった。
その結果、言われるのを、待つまでも無く、道徳的(社会性)な行為が、多くの人々の間で、自己規制出来た。
そんな思いを持ちながら、昨日の午後、仕事でお世話になっている、「ファインアクア」の生産者であり、総販売元の「プラム・サービス社」、梅本社長夫妻を訪ねた。
「勝俣さん 今朝の ブログ 読みました 分かります」
「ただ 恥を 恥ずかしいとする 自己規制は 我々世代(ウメモトシャチョウセダイ)が 限界かも知れません」ね、
と意見が出された。
梅本さんと私では、ちょうど10才違う。
仮に、氏が言うように、私の10年後が限界線だとすると、・・・・大袈裟に言えば、日本民族は、「その前民族」と、「その後民族」の、・・・・言いかえれば、
・恥の自己規制を持つ民族と
・自らは自己規範を持たず、何でも「自由じゃんか民族」
の、二つに分けられるかも知れ無い、・・・・。
そして時間とともに、「規制派民族」は少数派となり、・・・・やがては、跡形もなくなる。
そのときこの日本は、一体、どんな風景が現出するのか、・・・・出来たら、直接、この目で確認して見たい、・・・・。
そんな気もするが、見たくとも、物理的に見れない、「寿命」の有る事の方が、最も有難い、・・・・そんな気もする。
当分、この二つ矛盾の間(ハザマ)で、揺れ動くしか、ないのかも知れない、・・・・。
つづく。