4月7日 土曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
語り継ぐ で無くて 使 い 継 ぐ 物
語り継ぐと言えば、普通は、親から子へ、となる。
同様に、使い継ぐ場合も、親から子である。
棟梁大工の道具など、恐らく、何代も何代も、使い継がれているのだと思う。
奈良「法隆寺」の宮大工だった、「西岡常一(故人)」棟梁の、「木に学べ」を読むと、その辺りのことがよく分かる。
ところが、時代が「変」になったのであろうか、・・・・。
あるいは、勝俣部長がケチなせいであろうか、・・・・。
子から親に、使い継ぐモノがあるのだ。
実は、今、私が使っている、仕事上の事務机は、30数年も前の、長男の机である。
桜咲く、・・・・まさに30数年前の、今の季節、彼は小学校に入学した。
その折、入学祝いとして、伯母さんからプレゼントされたものである。
成長するに従い、机の脚を調節してやり(調整可)、家を出ていく年齢まで、彼は使い続けていた。
その机を、そのまま受け継ぎ、今も私が使っている。
子と親で、30数年も使っているのだから、とても「使い捨て時代」などと、この局面に関しては呼べ無い。
今朝、机の高さを測った「70cm」ある。
(身長−100cm=適正な机の高さ、と、なるのかな)
子供の成長と共にアップした脚を、今度は、年と共にダウンするハメに、・・・・何れ、なるのだろうか。
アップもダウンも、どっちも成長である、・・・・人生「アップ・ダウンゲームに似たり」・・・・そう考えると面白い。
生きるって、いろいろな楽しみが、次から次に沸き出るものである。
楽しみが沸き出る、・・・・この「親子」の、・・・・「子親」の伝承こそ、・・・・共通の財産として、親から子に伝えたい、・・・・。
つづく。