勝俣部長の「高尾登山と健康体質作り」479・・・・なぜ 対照的

2月12日 日曜日

                         



(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
  結婚式 と 葬式


 人の一生には、「」と呼ばれる、個人的な行事と言うか、文化が幾つも有る。
 中でも、誰彼を問わず、「結婚式」と「葬式」は、一大イベントである。
 ただ、この二つは、誠に対照的だ。
 方や、人生の出発式であり、方や、人生の終焉式である。
 方や、本人の意思で成立し、本人が立ち会うが、方や、本人の意思は、遺言として残さ無い限り入らないし、・・・・遺言を残したところで、本人が立ち会う事は、絶対無い。
 また、この、人生最大のイベントを、
  ・不思議だ
あるいは
  ・変だ
の切り口で、見た場合、・・・・まさに変で有り、不思議な事が有る。
 当たり前のことであるが、不幸な事により、そりゃあ「おめでとう」の、お祝い事の方が、本人は勿論、回りも張り合いがある。
 ところがである、その「お祝い事」の方は、・・・・例え、祝ってやろうとする気持ちを持っていても、誰も彼もが、「式そのもに」、直接参加する事は出来ない。
 極近しい人だけが、参加すると言う、言うならば「限定的」な式である。
 ところが、葬式となると、招待状が有ろうが、無かろうが(第一そんなモノは無い)、式への参加には、関係無い。
 気持ちさえあれば、誰もが参加出来る。
 祝ってあげたいも、悲しんであげたいも、・・・・お世話にあの人の為にと、・・・・人を思う心に違いは無い、のであるが、・・・・。
 何故、お祝い事に、参加出来ないのだ、・・・・。
 お祝いには、「恨み、妬(ネタ)み」の心理が、微妙に絡むから、強制さが必要で有り、・・・・悲しみ事は、その微妙な心理からの開放であるから、自由参加が可能か、・・・・こんな不自然な事を考えるとは、勝俣君は、相当に病んでいるよな、・・・・。
 私の結婚式も、選んだ、50名ちょっとに、参加して貰っただけだった、・・・・。
 つづく。

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