11月29日 火曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
す だ く 虫 の 声
昨日の産経新聞「産経抄」に、次の一文があった。
「かって、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、一匹のコオロギの鳴き声を聞いただけで、
心の中に、ありいったけの、優しく繊細な空想を、溢れさせることが出来る」
古い話で恐縮だが、この一文を目にして、思いだした。
ときは「晩秋」だから、ちょうどいい。
1959年(ショウワ34ネン)だから、相当に昔の事である。
スチール奏者、兼、作詞作曲家、兼、歌手の大橋節夫さんが、「秋の夜は更けて」なる曲を発表した。
一番の歌詞に、感性の塊(カタマリ)がある。
「秋の夜は更けて すだく虫の音(ネ)に
疲れた心 癒す 我が家の窓辺 幸せは 幸せは ここに」
他人の迷惑も考えず、ヘッドホーンマイクをシャカシャカさせる今、こんな情景は、無いほど「遠い風景」かも知れ無い。
ちなみの「すだく」を、辞書で引くと、
・集まるの意。集(ス)だく。草むらに集だく虫の声。
一匹のコオロギの声から、宇宙規模の広がりを展開出来る感性、・・・・。
虫の声で、一日の疲れを癒せる感性、・・・・。
こんな無限で、繊細な人間の力を、今の世の中は、どんどん奪い去ってるのかも知れない。
イヤ、自らで、捨ててるのかも知れない。
つづく。