10月15日 土曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
姑 息(こそく)
いやはや、恥を披歴するが、「姑息」なる言葉の本当の意味を、今朝の新聞で始めて知った。
「姑息な手段」などと言われるように、私はてっきり「卑怯な」と、解釈するのだと思っていた。
ところがこれが、然(サ)に非ず、・・・・「一時しのぎ」、とする解釈するのが正解だそうだ。
そこで例によって、手元の小辞典を開いた。
確かに、
・まにあわせ
・いちじのがれ
とあり、広辞苑には、
・一寸のがれ
とある。
例えば人に、貴方は「姑息な人」ですねと言われたら、「卑怯な人」と言われたと思い、少なからず面白くない。
ところがこれが、・・・・取り敢えず、
・誠に絶妙な間に合わせの方法を
考えられますねとなったら、話は別になる。
新聞には更に、こう書かれている。
9月に文化庁が、「国語に関する世論調査」の結果を発表した。
それによると、「姑息」を、「卑怯な」と理解している人が7割以上いたとある。
7割の多さにビックリするが、・・・・それよりも、正しく理解する3割近い人達が、
・どんな経緯から「正しく理解」出来たのか、・・・・そっちの方が、「凄い」と思う。
巷間よく聞く、誰もが間違った使い方をする、
・「初心 忘るる ベからず(「最初は未熟であるが努力を為せば」の意)」
と同じように、この「姑息」なる言葉も間違って使ってしまう。
本日の、我が間抜けさを肝に命じ、何年かの後には、
・「初心 忘るる べからず」
と、本心から発して見たいものである。
つづく。