勝俣部長の健康体質作り・・・・高尾山「健康を体感する」(240)

6月2日 木曜日

                       


   (「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
街角から  消え去る風景 (この項完)


 思えば、街角から色々なものが姿を消した。
 時代の流れであろう。
 本屋さんに始まり、昨日書いた文具屋さん、・・・・それに魚屋さん、八百屋さん、豆腐屋さん、風呂屋さん、畳屋さん、時計屋さん、荒物屋さんなど、・・・・上げれば枚挙に暇(イトマ)が無い。
 考えたら「何々屋」さんが、軒並み姿を消したと言える。
 この「何々屋」さんの果たす機能が、物を売る事だけだったら消えてもよかった。
 ところがそうでは無かった。
 勝俣部長が直訳すると、「何々屋」さんはイコール、地域の「コミュニケーションの場」でも有ったのだ。
 モノを求めながら、モノは求めず、話をする場、・・・・話を聞いて貰う場でも有ったのだ。
 先端技術の発展と同様に、我々は、身も心も全てが進歩したと錯覚するが、喜怒哀楽などの人間の情感は、進歩もヘチマも無い。
 夫婦間のこじれはは50年前と何ら変わらず、嫁姑の確執は100年前と何らの変化も無く、昔と同じ形で続いている。
 そんな人間の、煩(ワズラ)わしい心の機微の、一つの緩衝材になったのが、図らずも「何々屋」さんであったのだと思う。
 技術的に進歩しながら、情感的には微塵の進歩も無い「今現在人の心のギャップ」は、「鬱病」か、「痴呆症」を産出するしか無い。
 実に現代人の、・・・・イナ、日本人の深刻さはここに有る、・・・・私はそう思えてならない。
 「何々屋」の代わりを、なるべく早く見つけなければならない、・・・・。
 果たして可能か、・・・・。
 その前に、「単なる水」を一杯飲もう、・・・・ファインアクアなら申し分無い。
 つづく。

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