2月1日 火曜日
(「単なる水」が、あなたを変える)・・・・真冬の洗濯
昔と違い今は季節に関係なく、洗濯気がその名の通り洗濯をしてくれる。
この一点だけ見ても、素晴らしい時代である。
勝俣部長の頭の何処かには、遥か昔の洗濯の風景が焼きついている。
寒風にさらされながら、大きな「タライ」と「洗濯板」、それに固形石鹸を使い、ゴシゴシと洗濯に励む母親(明治44生)の姿である。
多分、長姉(他界)は、母親が私を「おんぶ」しながら洗濯している、同様な風景を見ていたに違い無い。
井戸水を使い、幼子をおんぶし、しかも寒風にさらされながら、手動で洗濯をする、・・・・今や想像することさえ難しい。
勿論台所に、給湯器なんかは無い。
当時の母親達の手が、アカギレだらけだあったのも当然である。
そんな努力にも拘わらず、洗剤の粗末さもあり、労働投下の割には効率の悪い洗濯であった筈だ。
翻(ひるがえ)って今、私の洗濯は「楽」なものである。
山(高尾山)から下りて来て、ひと風呂浴びてる内に洗濯が完了だ。
寒風にさらされる訳でも無い。
但し、あの低能率の時代がフォーカス出来るからこそ、「今」がいい時代だと思えるのである。
今に感謝出来るか、・・・・今を当たり前と思うか、・・・・イヤイヤ、今に不満を抱くか、・・・・こちらの選択の洗剤は、間違い無く家庭教育しか無いのであるが・・・・。
今も昔も「単なる水」が、あなたを救う。
つづく。