10月21日 木曜日
高尾山の紅葉も、今年は幾分かは遅れるかも知れない。
今のところススキとか、写真のように極一部の葉っぱなどを除き、本格的な紅葉はまだ先のようだ。
春3月半ば、ウグイスが鳴きはじめ、その声は、8月後半猛暑の中に、蝉達の鳴き声と入れ替わり、知らに間に姿を見せぬ
虫達の声が、静かに聞こえ出す。
「聴覚の世界」にも、自然に触れると時は巡る。
毎週末、時の移ろいを、都会の真っ只中ではとても味わえ無い自然に見つけると、凄く幸せな気分になるから不思議だ。
息ゼーゼー吐きながらもそんな世界を求めて、また登ろうとしているのかも知れない。
せっかく作ったのに
昨日の続きになるが、家庭料理で大切なことは、・・・・・勝俣部長が考えるだけかも知れないが、
食べる側に「脅迫観念」与えてはダメだ、とする事である。
全ての行動が予定した通りに進めばいいのだが、帰宅してから食べる晩飯が狂ったりもする。
子供達もある程度大きくなれば、それなりに友人との小食に「付き合う」、なんてこともあるだろう。
外で食べて帰宅したとき、テーブルに豪華な食事が並んでいると、「こりゃあ、少しは食べなきゃなヤバイな」と、
内心ではため息が着きたくなるのだ。
「それならそれで電話をくれればいいのよ、・・・・せっかく作ったんだから」、・・・・ハイハイ、確かにその通りですが、
「微妙」ってこともあるしねとかのボヤキを噛み込み、・・・・ハイハイ、少しは食べれますから、食べます、食べますとも・・・・。
ホントに美味しいね、とか何とか言って、どんどん腹に詰め込み、結局メタボ体に向っている人って、案外いるかも知れないのである。
「せっかく」なる言葉は、時と場合によって、ホント、脅迫に転じることだってあるんだよな。
と、考えた勝俣部長は、カミさんが突然死した後の、子供(男子二人)との生活時に、・・・・奴ら(子供)はもしかしたら、
何かの都合で食べないかも知れないとする、「食事拒否対応策」を頭の中に組み込んだのでありまする。
要らない場合は、翌日の朝食にでも、昼の弁当にでも、更には翌日の夕食にでも、再調理が利く料理を作って置けばいいことだけのことじゃん。
こうして一旦はジャンプされた料理を、翌日本人達には気付かせることなく、「お父さん、美味かったよ」となど、言わせる工夫に励んだのである。
「へえ、昨日の残り物って分からんべー、ざまあみんしゃい・・・・」。
こうして、「せっかく」の言葉が持つ嘆きの響きは、「痛快・痛快の極み」に転じたのである。
が、今思えば、あの料理評価は、男性主婦を気遣った子供達の、演技だったのかも知れない。
ああ〜あ。
つづく。
飲むなら「単なる水」です。
ミクロクラスター「ファインアクア」なら、申し分有りません。
そう言えば、スタッフブログ担当の「梅本あかね」さんが、ビッグなニュースを書いてました。
財団法人日本水泳連盟と、「ファインアクア」の正式な取引が始まったと、・・・・。
日本トップスイマーの更なる活躍を、「ファインアクア」とともに声援したいですね。