勝俣部長の健康体質作り・・・・高尾山「健康を体感する」(13)

10月18日 月曜日
        
高尾山「大本坊」から本殿に向うとき階段を登る。
一日何回か、決められた時間に護摩を焚く。
その為に何人かの僧侶が派手な衣装を纏い、下駄を履き、一番偉い「管主」さんとでも呼ぶのか、
付き人がその管主さんを大きな傘で差してあげ、ホラ貝を吹きながら、写真の階段を上がって行く。
毎日毎日、もう何年、いや何百年続いているのか、・・・・苔むした樹だけが時間の流れを見て来ている。
階段を上がれば時間は今の今、・・・・高尾山は今日も大賑わいだ。


アスリート達 
 どんなスポーツにも凄い選手がいる。
 その域に達するには、我々には思いも出来ない、激しいトレーニングがある筈だ。
 そしてもっと凄いと思うのは、選手でいる限り、そのトレーニングを続け切ることである。
 つまりアスリート達は、結果としての運動能力を引き出すと言うか、作り上げる前に、毎日特訓すると言う、
「意思」との戦いを持つ。
 ここまで書けば勝俣部長が何を言いたいかはお分かりと思うが、・・・・アスリート達のレベルでは無く、
極普通の日常人において、健康を維持することは、やはり同じ種類の「意思」との戦いだと思う。 
 勝俣部長の、食べ放題、飲み放題、運動はやらない放題、だったときでは、では、・・・・残酷な結果が
待ってるだけである、・・・・実際、あの血圧事件が待っていた(210/110)。
 人の「健康の一生」は、トレーニングの一生、・・・・イヤ、健康を続けるとする「意思」の一生だと、・・・・
そう思うのである。
 もっとも、美味しい物の山一杯を前に、コントロールせよとは残酷であるが、・・・・
要は、どちらの残酷さを選択するかであるが、・・・・よく考えれば答えはたった1つとなる。 
 つづく。



飲むなら「単なる水」です。
ミクロクラスター「ファインアクア」なら、申し分有りません。
食べ過ぎの一生は、残酷な一生。

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