7月29日 土曜日
折角、生きてるんだから
後から何とかなる
勝俣部長・・・・1966年、昭和41年、今から57年前。
社会人として飛び出した。
会社・・・・東京都、港区、西新橋・・・・旧呼称「田村町」。
最も苦労したのが、イヤ、 堪らなく嫌だったのが、営業日報の作成。
・文章が一行たりとも書けない
・飛び切りの悪筆
事ある度に、書く事から逃げ回る自分を・・・・人生で初めて明確に知った。
入社して数カ月・・・・社長、役員、上司、先輩、同輩。
全員が・・・・私よりマシな事は勿論であるが・・・・。
お世辞にも、素晴らしい文章を書く状態から・・・・ほど遠くに見えた。
で・・・・山梨の田舎者が決断す。
文章書き方セミナー出席/渡部昇一(当時上智大学教授)、曽野綾子(作家)作品読み漁る。
ここぞ、と言う箇所を徹底的に書く、写す・・・・大学ノート数冊となる。
更には真似て書いて見る・・・・真似乞食(マネコジキ)に徹する、徹した。
その姿勢で時が流れた。
不思議である・・・・書くことが好きになってしまった。
真似が肥料となったのか・・・・自分のスタイルが生まれ出した。
文章は個性である・・・・最後のノートに、時を要してから記した言葉である。
以来、何十年・・・・あの姿勢のバリエーションが、年を重ね、年を取った。
結果、どうなったのだ・・・・。
誰も聞かないから・・・・自問自答する。
日常起きてしまう、へま、ミス、失敗、非礼と後から知る所作、諸々の無礼・・・・。
など・・・・マイナスの失態が、 怖く無くなった。
後から文章でお詫びする(差し出す)。
すると、それまで以上に近しくなる(なれる)。
★この7月23日、3歳下、実弟逝く。
彼の近しかった人を可能な限り思い出す・・・・
・供養とは1分でも、1秒でも個人を思い出す事であると
・一切の心遣い不要
・その1秒が供養であると
既に20人ほど、差し出させて戴いている。
書くことが、やっと役立って・・・・いるのかも知れない。
つづきます。
暑くても そうで無くても 水を飲みましょう