勝俣部長の「ため息」3041回・・・・年と共に

10月8日 火曜日

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                東長崎〜椎名町まで歩く 疲れる 途中休憩 撮:2019.9

 

 

 

折角、生きてるだから

 手抜き供養

 

 勝俣部長・・・・日常を結構小まめにこなす事が多いが・・・・粗雑に(手抜き)してしまう、と言うか・・・・自分では良い考えじゃん、と、したり顔で過ごす事もある。

 最大の手抜き工事が・・・・他界した身内の供養。

 位牌のある身内・・・・母親(12月)、父親(7月)、カミさん(1月)、

長姉(7月)の4人。

 それぞれの命日に、山梨の都留市まで足を運んでいた。

 それが時間の経過と共に自宅の仏壇に変わる。

 そして今はと言うと・・・・それがいたのだ。

 それぞれの命日・・・・ピッタシとは行かないが、その付近の夜、

  ・いつもの通り 酒をたらふく飲む

  ・20時前には 眠くなる

  ・そしてモーツァルト(CD)の「レクイエム」を流す

 荘厳な流れの中で鎮魂の涙を流す・・・・前に・・・・2〜3分もするうちに、グーグーと高いびき。

 この曲・・・・凡そ50分〜55分・・・・とても全部を聞いていられない・・・・。

 翌朝4時前・・・・いい供養が出来たと、ケロっとして起床。

 そうそう最近は・・・・その手抜き供養も一人忘れ、二人忘れ・・・・面倒だから、気が着いたとき、失礼の段を詫びながら、4名様纏めてのレクイエム。

 これって・・・・供養になるのかな・・・・。

 間もなく母親の命日の12月・・・・今、存命なら100才と・・・・計算出来ません。

 供養は年と共に、手抜きに流れる・・・・。

 つづきます。

 

 

 手抜きの心に 澄み切った水