勝俣部長の「ため息」4144回・・・・躊躇(タメラ)う

8月26日 金曜日

 

         伊勢神宮「内宮」五十鈴川 撮:2022.06

 

 

 

折角、生きてるだから

 郷 愁

 

 なかなか・・・・心の思いに、ピッタシの言葉が浮かばない、です。

 から・・・・郷愁とします。

 勝俣部長・・・・初めて社会人になったのが、1966年4月1日。

 56年前の事。

 何と、当時の・・・・会社での交通費の清算ノート(私用)が出て来たのです。

 勿論、薄汚れてます。 

 ノートの表紙には、

  ・交通費控えノート 昭和41年26日~49(1974ネン)年5月16日

  ・販売第一課 勝俣敏彦

 この日付・・・・4月1日入社、3カ月間、平塚工場にて研修、7月25日付、

東部営業部、販売第一課、配属。

 の・・・・経緯を思い出します。

 配属の翌日より・・・・営業活動を開始してますね。

 (ビン蓋、王冠、キャップ類販売、飲料水屋訪問、当時都内だけで40軒ほど

   在りました)

 その、まあ・・・・記念すべきとなりますか。

 営業活動の初日、7月26日の、交通費の金額ですが・・・・。

  ・7月26日 行先:代々木飲料、三田商店 経路:国電 目黒~渋谷

   バス、地下鉄利用 金額100円

とあります。

 国電とあるのも、たったの100円も・・・・郷愁です。

 その郷愁・・・・27日が160円、28日が60円・・・・と続きます。

 そして晴れて・・・・合計清算の第1回目は、

  ・7月26日~8月17日(約20日間)で、880円

 ノートの数字の右に勝俣の印、その右に当時の次長の鈴木の印、更にその右に当時の経理課の谷川の印・・・・それぞれ押してあります。

 20日間の営業活動費がたったの880円・・・・郷愁です。

 鈴木印、谷川印・・・・みんな、みんな郷愁です。

 それから8年・・・・ノート最終ページ、最終行です。

  ・昭和49年 5月14日 新橋~芝浦 東京コカ・コーラボトリング

   390円

  ・4月19日~5月16日(約1カ月)の清算金額 10,290円

 押印は「勝俣、土居、糸」、上司も変わり、経理の責任者も変わっています。

 それと、清算金額のレベルが、かなり上がっております。

 多分・・・・初任給21,500円が8年後には、10万円を超えたのではと、

思います。

 今(現世)と違い・・・・モノは上がりましたが、給料は、それ以上に上がりました。

 このノート、捨てるの・・・・甚(ハナハ)だ躊躇(タメラ)があります。

 冥途土産ですかね・・・・。

 つづきます。

 

 

 水だけが 変わらない