8月26日 金曜日
折角、生きてるんだから
郷 愁
なかなか・・・・心の思いに、ピッタシの言葉が浮かばない、です。
から・・・・郷愁とします。
勝俣部長・・・・初めて社会人になったのが、1966年4月1日。
56年前の事。
何と、当時の・・・・会社での交通費の清算ノート(私用)が出て来たのです。
勿論、薄汚れてます。
ノートの表紙には、
・交通費控えノート 昭和41年7月26日~49(1974ネン)年5月16日
・販売第一課 勝俣敏彦
この日付・・・・4月1日入社、3カ月間、平塚工場にて研修、7月25日付、
東部営業部、販売第一課、配属。
の・・・・経緯を思い出します。
配属の翌日より・・・・営業活動を開始してますね。
(ビン蓋、王冠、キャップ類販売、飲料水屋訪問、当時都内だけで40軒ほど
在りました)
その、まあ・・・・記念すべきとなりますか。
営業活動の初日、7月26日の、交通費の金額ですが・・・・。
・7月26日 行先:代々木飲料、三田商店 経路:国電 目黒~渋谷
バス、地下鉄利用 金額100円
とあります。
国電とあるのも、たったの100円も・・・・郷愁です。
その郷愁・・・・27日が160円、28日が60円・・・・と続きます。
そして晴れて・・・・合計清算の第1回目は、
・7月26日~8月17日(約20日間)で、880円
ノートの数字の右に勝俣の印、その右に当時の次長の鈴木の印、更にその右に当時の経理課の谷川の印・・・・それぞれ押してあります。
20日間の営業活動費がたったの880円・・・・郷愁です。
鈴木印、谷川印・・・・みんな、みんな郷愁です。
それから8年・・・・ノート最終ページ、最終行です。
・昭和49年 5月14日 新橋~芝浦 東京コカ・コーラボトリング
390円
・4月19日~5月16日(約1カ月)の清算金額 10,290円
押印は「勝俣、土居、糸」、上司も変わり、経理の責任者も変わっています。
それと、清算金額のレベルが、かなり上がっております。
多分・・・・初任給21,500円が8年後には、10万円を超えたのではと、
思います。
今(現世)と違い・・・・モノは上がりましたが、給料は、それ以上に上がりました。
このノート、捨てるの・・・・甚(ハナハ)だ躊躇(タメラ)があります。
冥途土産ですかね・・・・。
つづきます。
水だけが 変わらない