勝俣部長の「ため息」4017回・・・・自己救助思考学

4月16日 土曜日

 

f:id:bon-ku-ra:20220320111202j:plain

          「さきたま古墳」周辺 撮:2022.3

 

 

折角、生きてるだから

   救われる 

 

 我々は日々、無意識に、様々な事を考えながら、過ごしているように思う。

 例えばな事が起きても・・・・いいや、いいやアレがあるから、とか、コウ考えればいいや、などと。

 無意識に、時には意識して考え、自問自答しながら過ごしている(と思う)。

 そうしながら、大抵は嫌な事を、ちっとも面白く無い事を・・・・オーバーに言えば、

って来ている。

 同様に、自分にとってのみ、とか、ヤル気とかも、これにリンクする(様に思う)。

 その代表の1つに・・・・何々にわれる、救われたとする表現(情感)である。

  ・とっても嫌な事があったが、孫の笑顔に救われた とか

  ・離れた家族に 何々出来るのが とっても励み

 とかなどである。

 日々、自己呼吸の安寧を求めての・・・・「自己救助思考」とでも、言えるかも

知れない・・・・。

 コレらの自己救助思考は・・・・勿論、そんな「学」が学校には無いが、学校では絶対に教えてくれない。

 限りなく自分の生み出す知恵に近い領域・・・・そんな気がする。

 勝俣部長・・・・これから時間は様々に使えるから・・・・。

 知恵の学問・・・・凡句楽式「自己救助思考学」を体系化して行ってみようかな、と。

 、思って見たが・・・・一歩も進まない。

 全く救われない・・・・イヤ 救い様の無い「おっちゃん」である。

 つづきます。

 

 

 日々 春うらら 水が美味しい