4月16日 土曜日
「さきたま古墳」周辺 撮:2022.3
折角、生きてるんだから
救われる
我々は日々、無意識に、様々な事を考えながら、過ごしているように思う。
例えば嫌な事が起きても・・・・いいや、いいやアレがあるから、とか、コウ考えればいいや、などと。
無意識に、時には意識して考え、自問自答しながら過ごしている(と思う)。
そうしながら、大抵は嫌な事を、ちっとも面白く無い事を・・・・オーバーに言えば、
乗り切って来ている。
同様に、自分にとっての励み、とか、ヤル気とかも、これにリンクする(様に思う)。
その代表の1つに・・・・何々に救われる、救われたとする表現(情感)である。
・とっても嫌な事があったが、孫の笑顔に救われた とか
・離れた家族に 何々出来るのが とっても励み
とかなどである。
日々、自己呼吸の安寧を求めての・・・・「自己救助思考」とでも、言えるかも
知れない・・・・。
コレらの自己救助思考学は・・・・勿論、そんな「学」が学校には無いが、学校では絶対に教えてくれない。
限りなく自分の生み出す知恵に近い領域・・・・そんな気がする。
勝俣部長・・・・これから時間は様々に使えるから・・・・。
知恵の学問・・・・凡句楽式「自己救助思考学」を体系化して行ってみようかな、と。
と、思って見たが・・・・一歩も進まない。
全く救われない・・・・イヤ 救い様の無い「おっちゃん」である。
つづきます。
日々 春うらら 水が美味しい