9月7日 火曜日
折角、生きてるんだから
「折角」太り
案外・・・・知らず、知らずの内に使い・・・・角度によっては、脅迫感を与えてしまう
「言葉」がある。
「折角、何々してあげたのに・・・・」
の「折角」である。
勝俣部長家(チ)・・・・最盛期、家族4人住まいだった。
1994年(平成6年)、今から27年前、48才で世を去ったカミさん。
時効と考え・・・・みっくんママに脅されるのを覚悟で、言うのであるが・・・・。
今、思えば・・・・この「折角、何々」の達人だった。
外で出来上がっ食べ物を買わずに、日々、一生懸命にこさえた。
実に素晴らしかった。
ただ、ここまでは良いのであるが・・・・。
この折角が、かなりの頻度で付いて回って・・・・いた様に記憶する。
・折角作ったのに それしか食べないの
・折角作ったに 食べないの
・そんなに 不味い
家族と言えどもそれぞれに、個人的な事情があると言うもの。
子供達だって小腹が空けば、友達と幾らか食べたりもする。
折角様には悪いが・・・・作ってくれた物を、しかも多めの量を、全部消化する体制が、いつもいつも、100%可能な状態とは限らない。
そこに折角様が来る。
期待通りに箸が動かない、何と無く不機嫌になる・・・・ややもすると、かなり不機嫌になる。
と・・・・そこには、無理をしてでも食べる、が、発生してしまう。
かくして結果・・・・子供共々「ブクブクマン」となってしまった。
是 折角太りと言う・・・・。
家庭料理で肝要な事は、鮮度、味、色彩・・・・など、勿論であるが・・・・。
その前に、一切の強迫性を持たない事・・・・。
料理研究家の唯一人も言わないが・・・・かく思う。
カミさん亡き後、引き継いだ勝俣部長・・・・。
子供たちに・・・・無理して食べるなよ・・・・ソレをベースに、違う料理にアレンジする
構想はあるから大丈夫だと・・・・。
料理も柔軟性が必要である。
善き思い出である。
つづきます。
それにしても 日々 水が美味しい 立山です