勝俣部長の「ため息」3713回・・・・幸運な記憶

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          アジサイ:「別所沼公園」 撮:2021.5


6月4日 金曜日

 

 

    折角、生きてるだから

58年前感慨

 

 勝俣部長・・・・昨日と本日、東京都品川区小山での作業。

 品川区小山と呼ぶより、東急線駅・・・・「武蔵小山」と言った方が、ピンと来る。

 今から58年前、山梨の片田舎出の私が・・・・当時の目蒲線(目黒~蒲田間)が走る、目黒駅近くに住んだ。

 (58年前)・・・・アパートの家賃相場は、畳1畳が1000円。

 4畳半なら4500円、6畳間なら6000円。

 因みに4年後、1966年入社の勝君の初任給が19,500円。

 我れ借りしボロアパ-ト・・・・6畳間であったが4500円、割安。

 安い意味。

  ・築何十年かの木造2階建て、上下各4部屋の全8室、台所は8室共同、

   トイレ非水洗で台所同様に8室共同

  ・風呂勿論無し、歩いて10分、銭湯利用

 東南に当時の国鉄動力車会館がデンと構え、日中、陽、一切当たらず。

 アパート西側高台に冒頭の東急「目蒲線」が走る。

 東側の低地に国鉄「山手線」が走る。

 その両方の狭間での生活を余儀なくされる。

 日中は両方の電車の騒音・・・・夜間はと言うと、国鉄の貨物船がひっきりなしに轟音を響かせる。

 まあ4500円と安いのは、当然かも・・・・。

 その目黒の隣駅が「不動前」・・・・その先が「武蔵小山」駅。

 58年前の・・・・あの、何とも言えない、ちぐはぐな生活の記憶が蘇る。

 安酒を探し、何度となく行った、あの武蔵小山

 勿論、当時と重なり合う部分は何も無い。

 ただ、何と無くの雰囲気は、遥かに遠い微かな記憶。

 本日、再度、遠く微かな記憶に・・・・。

 元気に生きてりゃ幸運な記憶となる。

 それが実に良い。

 つづきます。

 

 

 今日も 水と共に