11月2日 金曜日
大切な事(健康)は 手遅れになってから 分かる
5 0 回 忌
別に変な自慢をする訳ではないが、この11月7日、勝俣部長は、母親の50回目の命日を迎える。
50回忌である。
山梨県都留市にある、臨済宗妙心寺派「長慶寺」で、次姉、弟、そして私の3人で、4日の日曜日に、ささやかな法事を行う(長姉は既に他界)。
考えたら、50回忌が出来る状況は、意外と難しい。
・私のように 母が52才の若さで死んだ場合で 本人もそこそこ生きる
・あるいは 法事を為す本人が かなり長生きをした場合
私の場合、母親が38才のときに生まれたから、母がもし70才まで生きたとしたら、108才まで生きなければ、50回忌は迎えられない。
こう考えると、長寿時代の今日、50回忌が出来る事は、次第に難しくなるかも知れない。
母親が他界した当時(私が20才のとき)、ある種の絶望感に圧倒された記憶が残るが、50回忌を迎える今、彼女の一生は52年間でよかったのだと、・・・・
52才と言う若さの他界であったらばこそ、全てが、楽しく、嬉しい思い出として、残るのである。
今も存命なら、多分、人間性を保てなくなった、辟易する母の存在を、かなり高い確率で、見ているかも知れないのである。
無暗に、長生きを願うだけでは能が無いぞ、・・・・と、自分に言い聞かせる、・・・・。
つづく。