9月18日 水曜日
「浅草」 撮:2019.8
折角、生きてるんだから
どうなんだろう
勝俣部長・・・・社会人になったのが(税金を納める人)、1966年(昭和41年)。
53年も前のことである。
営業に就いた私の仕事の一つで・・・・未だに忘れない、かなり緊張した思い出がある。
毎月末の集金だ。
今の様に「銀行振込」の決済なんかは無い・・・・手形(約束、為手)か、現金の集金が専らであった。
埼玉、群馬、新潟県をテリトリーとする三国コカ・コーラボトリングの担当をしていた。
毎月1000万円前後の金額の手形を、高崎線桶川駅の近くまで集金に行った。
多寡だか紙切れ1枚でだが・・・・その1枚を肌身離さず・・・・それこそ無心なって、新橋の会社まで持ち帰った(ものである)。
会社の経理部に渡し終えたとき・・・・フット、ため息が漏れ、安堵したものである。
ただ今現在・・・・キーボード一つに、何億円もの取引金額を、入社早々の若い女性社員が・・・・事も無く打ち込む。
コレは現金(ゲンナマ)だの・・・・実感が無いからの芸当であろう・・・・。
打ち込む彼女さん個人としては・・・・それこそ1000円ちょっとのスイカ金額に
汲汲としている(かも知れない)。
このギャップが凄い。
いよいよキャッシュレス時代に向かうと言う・・・・財布に現金があるからこそ、
・ダメだ ここで2000円は使えない
・今月の お小遣いもう500円しか無い
などと、瞬時の実感・実情計算が成り立つ。
キャッシュレス化・・・・勝俣部長が震えながら・・・・怯えながら持ち帰った、
あの、現金以上の約束手形感は無い。
1億であろうと、10億であろうと、キーボードを無表情に叩くあの感覚・・・・。
キャッシュレスは、
・無表情決済
・血も涙も出ない決済
・己の勘定感を喪失させる決済
弱い人間は益々弱く・・・・なる。
金銭的的自己管理が難しい・・・・そんな時代になろうとしているかも、なあ・・・・。
つづきます。
キャッシュレスに飲み込まれないで 水でも飲んで しっかりなさいよ・・・・