勝俣部長の「ため息」2059・・・・死滅する 義務感

1月17日 火曜日



    好き勝手に 言いたい放題
旧式ですが とにかく 会う営業です


 勝俣部長・・・・組織名は変われども、いわゆる「営業職」一筋、50年。
 我々の時代の営業とは何か。
 誠に簡単で、人とう事であっものだ。
 電話は営業の補助ツールで、一応の要件を伝えたとしても、最後はかく述べたものだ。
  「エエ そうです 明日 お会いしたときに ご説明させて戴きます」
 FAXとて、直接会って話す内容の補助ツールだった。
 ところが今・・・・IT化が激しく進み、「」を別な言い方で表すと・・・・今、時代は、日々、
 ・人と会わなくいい時代
に向かっている。
 ・切符買うのも
 ・物品を購入するのも
日々、人と会わなくていい時代・・・・進化、進化、大進化。
 殆どの人は、その進化を・・・・わしく無くて大歓迎だと言う。
その内に、親子とて「会い」が無くなる、かも知れない。
全ての場で「会い」を不要としている。
会い、不要の時代に・・・・。
 勝俣部長・・・・半世紀の営業での結論は・・・・会いは・・・・「」なのだ。
 だから、もしかしたら無残な結果が、あっちこっちで起こるかも知れない。
 ・引き籠りも 無残な一つ
 ・オレオレ詐欺も 無残な一つ
 ・肉親争いも 無残な一つ
など、その兆候が出始めている、じゃんな・・・・。
 人と会うのがわしい・・・・イヤ 素直に緊張するから嫌だと、何故言わぬ。
 人から緊張を差し引くと = 何も考えなくなる人の誕生。
 高齢化による定年退職者(緊張解き放れ族)とともに、緊張回避人間が増大する。
 間違いなく義務と言う言葉は滅化に向かう。
 権利だけが罷り通る。
 ITによる、権利のみの時代が誕生・・・・。
 そんな時代の完成形が、直ぐそこに・・・・。
 そう思う・・・・。
 つづく。


 水を飲むのは 義務でも権利でもありません 理屈無き 必要物 です