勝俣部長の「ため息」2011回・・・・いい習慣である

11月27日 日曜日



好き勝手に 言いたい放題
コレも 年ってことか


 何歳とは決まってはいないが、それぞれに「年を感じる」場面が、次第に増え出していると思う。
 多くは肉体的な劣化を知る・・・・そんな場面だろう・・・・確かに。
 他には何に感じるのか・・・・。
 こっちの感じ方は、人,様々だろう。
 毎年11月に入ると、
   「喪中につき新年の・・・・」
 と、身内が亡くなった知らせが届く。
 書かれている内容に・・・・今年初体験した知らせの内容に・・・・「年だ」を感じる(感じた)。
 既に9枚受け取っているが、その中の3枚が、
   「妻 何々が・・・・」
とある。
 この書き出しの「(モシクハ主人)」に、同情と共に「ドキッと感」を覚える。
 妻、主人となれば仲間年齢を意味する・・・・俺たちもいよいよか・・・・ドキッと感は、「いよいよ感」である。
 考えて見ると喪中の知らせには、順序があった(ある)。
  ・一般的には祖父母に始まり
  ・叔父 叔母になり
  ・父 母になり
 そして今まさに、妻、主人である。
 この順序は、そのまま子供に移り行き、やがて、
    「父 凡句楽が 何月何日に・・・・」
 喪中の知らせにも人生が・・・・あるのだ。
 勝俣部長・・・・喪中の返信は、新年明けてからの「寒中見舞い」に、それぞれの思いを乗せて託す。
 年賀状以上に、いい習慣なような気がする・・・・勝俣君の自慢話である。
 つづく。


 今朝も水で コピット 行きましょう