4月12日 土曜日
(北区王子「飛鳥山公園」)
好き勝手に 言いたい放題
確かに聞いた どう 考えれば いいのだろう
昨日の午後、運転しながらラジオで確かに聞いた。
何でも気象庁がこの1年間、名古屋と長野の「降水確率」を、取り違えて発表していたらしい。
ところが、今朝を新聞を隈なくさがしても、何処にも出ていない、・・・・が、確かに聞いた。
まあ、似たような数字だから、どうでもいいようなもの、・・・・もし仮にそうなら、「降水確率」なる数字の意味合いは、一体どうなるのだろう。
多分、個人的には、
・30%以上なら 傘を持って出ようとか
・午後の確立が高いようなら 早めに洗濯しておこう とか
・エエ 九州地方は60%か 出張は傘が要るな とか
それなりに、発表を有難く使っている人も多かろう、・・・・。
ただその精度の要求となると、名古屋人も長野人も区別無し、・・・・。
一層の事、北海道、本州、九州、沖縄程度の区別にして見たらどうだろう。
「そりゃ 困る」
との申し出があったら、・・・・その辺りから、再度「意味合いの」の研究をしてみたら、・・・・などと言いたくなってしまう。
日々の天気、・・・・確かに無意識に気にしているようで・・・・気にして無いようで、・・・・。
ただ一つ言えるのは、何か「仕掛け」ようとする人にとっては、・・・・そう、
・行動派
・生きてる派
・反・死に体派
・生きてる事の実感派
にとっては、詰り、
・洗濯しよう とか
・終日 外で仕事だよ とか
・今日はゴルフだよ とか
・今日は子供の遠足だよ
これらの「などなど派」にとっては、天気予報は凄く気になる、なる。
だから、天気が気になる人生は素晴らしいのである。
定年とは、天気予報と無縁の生活を意味するのだろうか、・・・・ぞっとする・・・・嗚呼。
つづく。
良い水 飲みましょう 人生たたそれだけで 明るくなりますよ