勝俣部長の「ため息」1191・・・・定年と天気予報

4月12日 土曜日

                                                
                                                    (北区王子「飛鳥山公園」)



     好き勝手に 言いたい放題
確かに聞いた どう 考えれば いいのだろう


 昨日の午後、運転しながらラジオで確かに聞いた。
 何でも気象庁がこの1年間、名古屋と長野の「降水確率」を、取り違えて発表していたらしい。
 ところが、今朝を新聞を隈なくさがしても、何処にも出ていない、・・・・が、確かに聞いた。
 まあ、似たような数字だから、どうでもいいようなもの、・・・・もし仮にそうなら、「降水確率」なる数字の意味合いは、一体どうなるのだろう。
 多分、個人的には、
  ・30%以上なら 傘を持って出ようとか
  ・午後の確立が高いようなら 早めに洗濯しておこう とか
  ・エエ 九州地方は60%か 出張は傘が要るな とか 
 それなりに、発表を有難く使っている人も多かろう、・・・・。
 ただその精度の要求となると、名古屋人も長野人も区別無し、・・・・。
 一層の事、北海道、本州、九州、沖縄程度の区別にして見たらどうだろう。
   「そりゃ 困る」
との申し出があったら、・・・・その辺りから、再度「意味合いの」の研究をしてみたら、・・・・などと言いたくなってしまう。
 日々の天気、・・・・確かに無意識に気にしているようで・・・・気にして無いようで、・・・・。
 ただ一つ言えるのは、何か「仕掛け」ようとする人にとっては、・・・・そう、
  ・行動派
  ・生きてる派
  ・反・死に体派
  ・生きてる事の実感派
にとっては、詰り、
  ・洗濯しよう とか
  ・終日 外で仕事だよ とか
  ・今日はゴルフだよ とか
  ・今日は子供の遠足だよ
これらの「などなど派」にとっては、天気予報は凄く気になる、なる。
 だから、天気が気になる人生は素晴らしいのである。
 定年とは、天気予報と無縁の生活を意味するのだろうか、・・・・ぞっとする・・・・嗚呼
 つづく。


 良い水 飲みましょう 人生たたそれだけで 明るくなりますよ