勝俣部長の「ため息」1180・・・・人を 裁くことって

3月29日 土曜日

                                               
                                                    (靖国神社「華道展」ヨリ)



  好き勝手に 言いたい放題
昭和41年 と言う 年度


 誰にも、忘れる事の出来ない「時・年・年度」はあるだろう。
  「再審決定 死刑囚 袴田(元)被告釈放」
 大きなニュースとなって報じられ、報じられている。
 この「袴田事件」の発生が、昭和41年だったから、「昭和41年」と、逮捕から48年が経過した事から、「以来48年」の、・・・・二つの数字が、にわかに耳に飛び込む事になった。
 実は勝俣部長、・・・・忘れる事の出来ない年が、この「昭和41年」どである。
 学生から社会人に踏み出した年であり、今でも鮮明に記憶する。
 田舎者丸出しで、・・・・始めてお得先に行ったとき、名刺の上下を逆さまにして差し出し、・・・・先輩にこっぴどく叱られた事など、言うならば「叱られ事件」の年であった。
 以来48年、・・・・どうにかこうにか、自由気儘な生活が謳歌されて来ている。
 つまり、これだけで十分に、人生の成功者である。
 ところが袴田さんは、刑務所の中ずっとずっと、・・・・そう考えただけでも気が狂う。
 人を裁く事って、・・・・プロ(専門官)でもコレだから、・・・・素人(民間人)に出来るのだろうか、・・・・イヤ 素人だからもあるか、・・・・でも実に恐ろしい事である、・・・・。
 つづく。

 
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