勝俣部長の「ため息」1141・・・・神様の転換術

2月6日 木曜日

                                               
                                                (東京ドライブ「日比谷公園」手前)



 好き勝手に 言いたい放題
恨む という  (心理)


 肉親が無残にも殺害された場合など、恨みの感情は極限に至る。
 勝俣部長、・・・・幸いにも、未だ、そんな悲しみの局面に出会ってない。
 それだけで十分に幸せである。
  「極刑以外に考えられません」
  「直ちに 死刑にして下さい」
 実によく分かる・・・・経験が無くともよく分かる。
 ただよく分からないのは、その「恨み極限の心」に、時間軸を嵌めた場合は、一体、どうなるかである。
 仮に35才のとき、子供を殺害された、とする。
 極刑、死刑以外に無いとする心は、永遠に続く。
 が、90才になっても、尚も衰えを知らないのだろうか。
 そんな極端な場面では無いが、人間、年と共に
  ・当たり前に言えば 恨みまでも忘れる
  ・格好良く言えば 恨みを許せる
 それが「人間の成長」だとすると、死ぬまで成長出来る部分を残すことになる。
 年とる事は、例え何が有っても、その人の人生が、「恨み続けるだけの日々」に終わらないように、神様が与えてくれた「転換術」のように思えてならない、・・・・。
 いよいよボケたかな、・・・・ボケたよな。
 つづく。


 もっと 水を 飲もう よ