勝俣部長の「ため息」1035・・・・値上がり 大歓迎

10月7日 月曜日

                                               
                                                     (「横浜」市内にて)


         手遅れになって 健康を知る
昔 物価が 値上がりするのは 当たり前のこと だった



 勝俣部長、・・・・社会人になったのは、昭和41年(1966年)のことであった。
 初任給19,300円。
 アパート代が、畳み1畳1,000円と言われていた時代だ(4.5畳間で4,500円、6畳間で6,000円)。
 今と大きく違うのは、大抵のアパートが、
  ・風呂無し  
  ・共同トイレ
  ・共同の台所
 だから、否が応でも皆顔見知りになり、各位の故郷の顔が飛び出した。
 人情味のある、長閑(ノドカ)な風景があった。
 ただ物価の値上がりに関しては、その長閑さは、今の方が何倍も何倍も長閑である。
   「値段 ジットして 微動だにせず 動くのは 値下がりだけ」
 これを、いい時代と言うか、・・・・。
 値下がり品に猛ダッシュする今の時代、僅かな値上がりにも、ヒステリックなまでに反応する。
 その点当時、・・・・「値上がり慣れ」していた。
 当たり前の感覚であった。
 社会全部が当たり前だから、物価は上がっても給料も上がった。
 冒頭、初任給19,300円と書いたが、ある年なんか、一挙に35,000円も給料が上がった。
     物価は上がるが 給料も上がる
 今思うと、誠に心地よい感覚であった。
 だって、無理して購入した「マイハウス」の支払い率が、当初、年収の30%を占めたとしても、・・・・そう、3年も経過すればグーンと下がるのである。
 実に楽になるのだ。
 お金に関しては、「怖さ感覚」は、無かったように思う。
 ここに来て、やっと、物価が値上がりに転じている。
 そう、頑張って給料も上げて貰おう。
 萎縮し過ぎた感覚から、脱出するいいチャンスであるのだ。
 それにしても天下のNHK、どうしてあんな暗い形で、値上がりの報道をするのだろうか、・・・・そう思いません。
 つづく。


 水を飲みましょう