勝俣部長の「ため息」953・・・・失われた 判断能力

7月16日 火曜日

                              
                                      (下仁田駅


   手遅れになって 健康を知る
本能的 自己管理能力


 我々の回り(包む)の全てのモノを、取り敢えず自然と置く。
 とすると、自然により、我々は楽しみや喜びを体感(持つ事)する事が出来る。
 が一方では、自然により、常に健康を脅かされもする。
 季節がら差し詰め、今猛威を振るっている熱中症なんかも、自然による脅威現象と言えば、脅威現象である。
 ところが人間の方も(シタタカ)で、これら自然に対する抵抗を、本能的に持ち合わせている。
 イヤ、いた
  ・口に入れたモノを これは 食べれる 食べられ無いの反応
  ・暑さに抗する 発汗作業を 順次行う反応
など、いろいろな面で発揮し、身を守って来たのでは無いのか。
 この抗する「力」こそが、本能的自己管理能力である。
 それが、高度に(敢えて高度と言う)発達した今、本能的自己管理能力に変わって、「機械・技術的管理能力」と、「行政的管理能力」に、すっかり身を委ねてしまった。
 例えば、極端なまでの清潔感は、むしろ我々を、或る面ひ弱にする(本能的自己管理能力を削ぐ)。
 そのため、
  ・誰かが(人、機械、技術)
  ・何かを
  ・やってくれないと
  ・何一つ 抗し切れない
そんな状態に、なり果ててしまった。
 その典型的な一つが、熱中症だと、・・・・思えて仕方が無い。
 人間は動物である。
 動物とは、動く物である。
 逆に言えば、動かない事は人間の放棄である。
 体そのものは勿論、本能的自己管理能力も、常に磨いて(動かして)おかなければ、心身共に可笑しくなるのは当たり前、・・・・そう思う。
 取り敢えず、一々言われなくても、今の時期、自分の体で判定して「水」くらい、飲みなされ・・・・。
 つづく。


 夏と水   最高の組み合わせだ