勝俣部長の「ため息」954・・・・人間って 不思議

7月17日 水曜日

                              
                                  (群馬県下仁田駅」)



  手遅れになって 健康を知る
戦友 と サラリーマン


 今年もまた8月15日がやって来る。
 勿論勝俣部長、戦争とは何一つ、直截な関係は無い。
 ただ、もう20年も前の事だろうか、・・・・一度も会った事の無い叔父(父親の末弟)が所属していた部隊の慰霊の式に、親族を代表して靖国神社に集合した事がある。
 叔父の所属部隊は、「中嶋部隊」と言った。
 当の中嶋隊長は和歌山県の出身で、当時、まだまだお元気で、総勢120数名各位(兵)の様子を、かなり詳しく知っていた。
 中嶋部隊の戦死者は、たった(たったと言っていいかどうか)2人だけであったそうだ。
 その2人の内の一人が、叔父であった。
 叔父は観測班に配属され、船で移動中に、魚雷に触れて一命を落とした言う。
 まあ、それはともかく、中嶋部隊の面々は、戦後もかなり親しく連絡を取りあっているようで、・・・・その様子が、参集した80名近い元戦友の誰もからも伝わって来て、胸に熱く来るモノを感じた。
 有難い事に勝俣部長、・・・・サラリーマン戦士などとも言われた、戦士の端くれであったが、日々、死を意識して動いている訳では無かった。
 来る日も来る日も、ただ仕事に追われるだけで、何が有ったところで、死どころか無傷でいれる。
 多くのサラリーマン戦士が、それぞれの生涯に於いて、一番時間を費やすのは、職場であろう。
 ただ、相当に親しくなった間柄で無い限り、久し振りに会ったところで、涙が溢れるほどの感激は無い。
 戦友と呼ばれる人達の、何倍もの時間を共有して居ながら、・・・である。
 その違いは、「死の意識」が、根底にあるかどうかであろうか、・・・・。
 同じ戦士でも、雲泥の差である。
 人間、感動の極みを得れるかは、背景に悲惨さを持った人達には、到底適わない。
 ちょっぴり悔しい気もする、・・・・。
 8月15日、靖国神社にお参りに行って10数年になる。
 今年も間も無く、その日が来る。
 合掌。
 つづく。


 飲むなら 単なる水です