勝俣部長の「ため息」806・・・・体罰不要の 教育とは

1月29日 火曜日

                                          



  大切な事(健康)は 手遅れになってから 分かる
勝俣部長の考えは やはり 間 違 い だろうか


 大阪の高校生の、体罰に絡む自殺以来、体罰全部絶対反対の声が高い。
 橋下市長を筆頭に、賢明なる識者がその論で叫ぶ。
 私自身、体罰を容認する積りはさらさら無いが、全部否定となると、・・・・詰り、どんな形の体罰も反対となると、その弊害が、時間を掛けて生じて来る危惧を持つ。
 へそ曲がり、と言うか、恐怖な論と言うか、・・・・体罰全部反対には勝俣部長、異議を唱えたい。
 運動部であろうが、なかろうが、・・・・今の学生の(若者)の在りようは、
   ・片っ端から引っ叩きたくなる
そんな感情に、電車内でも、街の広場でも、よくなる。
 そうで無くとも、日教組中心の学校教育が、道徳観念を失わせてしまい、・・・・その残骸が、あちこちに蔓延している。
 日教組の教育こそ、ある種の体罰不要の教育ではなかったか。
 即ち、教師が体を張って教育するから、・・・・逃げに逃げて、・・・・逃げ腰教育、ビクビク教育、無責任教育、・・・・。
 自殺以来、体罰「全否定」が100%賛成されそうだが、・・・・その弊害が、5年遅れて、・・・・イヤ10年遅れて、必ず現出する、・・・・そう思えてならない。
 体罰不要の教育とはどうあるべきか、・・・・を抜きにして、・・・・体罰反対だけを唱える、・・・・これでは、日教組教育と、なんら変わらない。
 識者に、体罰不要の教育を、見せて欲しい。
 彼らの、全部の実子の現状をさらけ出してくれ、と言いたい。
 多分、全員が問題など一つも抱えて無い子供達で、きっとあろう。
 私の二人の息子は、少年野球時代、コーチの私に、よく尻を引っ叩かれたものである。
 それもこれも、私に、体罰不要の教育方法が、場面によって、無かっただけだであるからだ、・・・・。
 親としては、失格の烙印が、・・・・。
 ただ、子供は、放っとけば、ロクなものにならない、・・・・。
 つづく。

fineaqua -- Home