勝俣部長の「高尾登山と健康体質作り」736・・・・単なる水こそ 永遠なるサプリ

11月17日 土曜日

                                      




大切な事(健康)は 手遅れになってから 分かる
   も し か し た ら


 物凄く、もしかしたらの話しである。 
 ただ書き出しは、もしかでは無く、本当の話しだ。
 その本当の話しとは、・・・・。
 「単なる水(以降は水)」に、代替品は無い。
 詰り、ウーロン茶に水の変わりは出来ない。
  (反対は可能で、水はウーロンの替わりになる)
 水の摂取を止めて、1年中ウーロン茶を飲む事を思えば、容易に分かろう。
 人は水無しで、絶対に生きては行けない。
 ここまでは、本当の話である。
 ここから先が、物凄く「もしかしたら」の話しとなる。
 人には毎日、量は分から無いが、必要な水の摂取量が有る筈である。
 仮に勝俣部長の場合、その必要な量が100だとしてみよう。
 その100の摂取を、完全に止めたら、何れ死ぬだろう。
 では、100の内、30を違うものに置き換えたら、・・・・例えば、ウーロン、スポーツドリンク、etc、・・・・どうなるのであろう。
 知らず知らずの内に、・・・・何十年単位の時間の経過の後に、ダメージが現れる気がしてならない。
 そう、20才前後で入社し、60才前後で退職するまでの時間の経過、・・・・退職と同時に「病人」が出来上がる現実、・・・・が、その応えである。
 また100の内の30を、今言ったモノに、さらに20を、「体にいいよ(宣伝品)」とするものに置き換えてしまったら、・・・・。
 本当は100の水が必要な体なのに、半分は違うモノ、・・・・不必要なモノ、・・・・イヤ、体に悪いモノと代替させた事になる。
 体は破滅へと、破滅へと向かう。
 今の高齢者の大半は、自らで破滅型を、選択をしてしまった人に思えて仕方が無い。
 まず、自分の量を知り(体感し)、その量の水を摂取し、他のモノは、その後でいい。
 どんなに、テレビで「体にいい、いい」と叫ばれても惑わされずに、先ず必要な水分を摂ろう。
 「単なる水こそ 永遠なるサプリ」とする、ゆえんである。
 つづく。

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