11月17日 土曜日
大切な事(健康)は 手遅れになってから 分かる
も し か し た ら
物凄く、もしかしたらの話しである。
ただ書き出しは、もしかでは無く、本当の話しだ。
その本当の話しとは、・・・・。
「単なる水(以降は水)」に、代替品は無い。
詰り、ウーロン茶に水の変わりは出来ない。
(反対は可能で、水はウーロンの替わりになる)
水の摂取を止めて、1年中ウーロン茶を飲む事を思えば、容易に分かろう。
人は水無しで、絶対に生きては行けない。
ここまでは、本当の話である。
ここから先が、物凄く「もしかしたら」の話しとなる。
人には毎日、量は分から無いが、必要な水の摂取量が有る筈である。
仮に勝俣部長の場合、その必要な量が100だとしてみよう。
その100の摂取を、完全に止めたら、何れ死ぬだろう。
では、100の内、30を違うものに置き換えたら、・・・・例えば、ウーロン、スポーツドリンク、etc、・・・・どうなるのであろう。
知らず知らずの内に、・・・・何十年単位の時間の経過の後に、ダメージが現れる気がしてならない。
そう、20才前後で入社し、60才前後で退職するまでの時間の経過、・・・・退職と同時に「病人」が出来上がる現実、・・・・が、その応えである。
また100の内の30を、今言ったモノに、さらに20を、「体にいいよ(宣伝品)」とするものに置き換えてしまったら、・・・・。
本当は100の水が必要な体なのに、半分は違うモノ、・・・・不必要なモノ、・・・・イヤ、体に悪いモノと代替させた事になる。
体は破滅へと、破滅へと向かう。
今の高齢者の大半は、自らで破滅型を、選択をしてしまった人に思えて仕方が無い。
まず、自分の量を知り(体感し)、その量の水を摂取し、他のモノは、その後でいい。
どんなに、テレビで「体にいい、いい」と叫ばれても惑わされずに、先ず必要な水分を摂ろう。
「単なる水こそ 永遠なるサプリ」とする、ゆえんである。
つづく。