勝俣部長の「高尾登山と健康体質作り」732・・・・年とって オロオロ しないためにも

11月13日 火曜日

                                       
                                        (北アルプス「弥陀ケ原」のナナカマド)



大切な事(健康)は 手遅れになってから 分かる
家庭は  料 理 大 学  餃子学科 


 コンビニの、手作り(的)調理品の宣伝が、急に増えだした気がする。
 手軽に「イモサラダ」や、「イワシの煮付け」が手に入る。
 まさにコンビニの、コンビニエンスたる業である。
 反面、家庭料理が、衰退してしまうではと、心配になる。
 何れ家庭料理は、「特殊な家庭の産物」ってな、風景が出来上がるかも知れない。
 勝俣部長の母は、明治44年生まれ。
 もし存命していたら、100才を越える(実際は半分の52才で他界)。
 昔の家庭は、何処もそうであったように、3食とも母親が作った。
 その母親作成の食事が、ずっと続くのだから、母親の腕の見せ所は、「旨い不味い」とともに、一種の「健康の生命線」であった。
 と、同時に、母親の躾によっては、「料理好き」の男の子が育ったものである。
 その代表的人物こそ私で、「料理好き」の男の子の、見本のように育ってしまった。
 母親の最初の手ほどきは、マヨネーズを作る際の、サラダオイルの注ぎ方であった。
 スプーンで、ゆっくりと、ゆっくりと、実にゆっくりと注ぐ。
 急ぐと、直ちに叱られた。
 次なる手ほどきは、餃子の作成であった。
 必要な材料を細かく切り、練り、・・・・その前に、伸ばした餃子の皮の生地を、丸い円筒形で(例えば茶筒)、ザックザックと、必要な枚数をカットする。
 いよいよ、皮に材料を包み込む作業に移る。
 かように、日ごろから、食作業の手ほどき指導が、小学生の私に向けられた。
 その甲斐あってか、カミさん亡き後の2人の子供との生活も、・・・・子供が独立した今、独居老人宜しき生活も、少しも慌てず、楽しむ事が出来ているのである。
 家庭料理が、「特殊家庭」のモノとなってしまったら、・・・・将来、オロオロするばかりの、独居老人が増えてしまうのではと、・・・・心配である。
 家庭は、入学金心配無用の料理大学、・・・・何と素晴らしいコンセプトでは、有りませんか、・・・・。
 ただ教授(先生)が、居ねええか、・・・・。 
 つづく。

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