勝俣部長の「高尾登山と健康体質作り」545・・・・いい訳無用 弁護不要

4月24日 火曜日

                                 



        (「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
弁 護 するって 一体 何を どう 弁護する と 言うのだ


 一体、何を弁護すると言うのだ、・・・・こう叫びたくなる事故が、またまた発生してしまった。
 昨日午前、京都府亀山市で起きた、集団登校中の児童の列に、軽自動車が突っ込んだ事故だ。
 小2の児童二人と、付添いの保護者、それに、保護者のお腹の赤ちゃんが死亡した。
 尚、二人が重体だと言う。
 18才の少年が犯人。
 無免許。
 友達二人とともに、一晩中ドライブを楽しんだ挙句の、居眠り事故である。
 昨日のラジオで、3人の少年らは、事故後、特段困り果てた様子も無く、平然と電話を掛けていたと言う。
 この連中にも、弁護士がつくのだ。
 一体、何を弁護すると言うのだ。
 弁護士の必要性は、一般論として分かる。
 仮に、自分が巻き込まれたとなると、弁護士の必要性を、さらに実感すると思う。
 ただ、我々素人目から、単細胞的に見ると、その男・その女(年齢を問わず)、「弁護不要」なる人間が居る。
 昨日の事故は、まさに、弁護不要だ。
 こんな、デタラメで、バカな連中に、命を断たれたら、それこそ死に切れない。
 もし、自分の子供が当事者なら、一切の弁護不要を叫び続ける。
 弁護なんか要らない、・・・・。
 弁護士先生よ、例えついても、絶対に弁護するな、・・・・。
 つづく。

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