勝俣部長の「高尾登山と健康体質作り」506・・・・想 定 外

3月11日 日曜日

                            



(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
  1 年 前 の  今 日


 1年前の今日、・・・・言うまでも無く、東日本大震災が、発生した日である。
 その日は17時30分から、最初の会社の、同期入社8名と、有楽町で、酒宴を開く事になっていた。
 結果から言うと、その集まりがあったお陰で、私は、帰宅困難者にならずに済んだ。
  ・仕事の大半は車で為す
  ・飲み会が入ると、午後早めに切り上げ一旦戻る
  ・帰宅後改めて電車で東京に出る
 この図式に従って、行動していた為、大震災発生の時間は、首都高速の「四ツ木」の手前を、浦和に向って走行していた。
 あの地点は、地上30m前後の高さのため、死ぬほどの恐怖心に襲われたが、どうにか17時前には、家に戻れたのである。
 仮に、会合の約束が無く、あの時間、未だ、都内を走りまっていたら、悪夢になっていたろう。
 そう思うと、何と「」が良かったのだと思う。
  ・築40年も経つ古い建物であること
  ・13階に住んでいること
のため、部屋の中は、家財がメチャメチャに飛び散っていた。
 後から知ることになったのであるが、・・・・そんな、「家財がメチャメチャ」などは屁でも無い、巨大な津波が、・・・・大震災の、大震災であったのだ。
 死ぬほどの恐怖心に合いながらも、地震発生直後は、会の幹事役に、
   「かなり 揺れたけど 今夜 どうする 少し 様子を見る」
   「俺 未だ 家に向って走ってるところだから ちょっと 遅れるかもな」
 などと、まあ、「傍迷惑な」、ノンビリした事を、考えていた。
 勿論、「」は、全く違うが、津波の犠牲になってしまった、多くの人々も、揺れの恐怖のあと、助かったと言う、若干の「心の安堵さ」に、・・・・その安堵さと言う、間隙の中を、津波に急襲された、・・・・そん気がしてならない。
 人の心は、何処かに、自分でも認知し難い、想定外さを、持っているのかも知れない。
 黙とう。
 つづく。