勝俣部長の「ため息」845・・・・逃げろ情報 の 未熟さ

3月11日 月曜日

                                               



 手遅れになって 健康を知る
3.11  あ の と き


 平成23年3月11日午後2時46分、・・・・東日本大震災発生。
 揺れ出したその瞬間、・・・・多くの人が、「あのとき」の記憶を鮮明に持つだろう。
 東京を走っていた勝俣部長でさえ、・・・・高速道路上「四つ木」付近で、
  「こりゃあ 助からねええや」
を意識した次第である。
 以来、地震に対する備え意識は、全国各地で高まっている。
 素人の考えであるが、備える事は、防波堤とか免震住宅とか、そいった構造物の強化は勿論だろうが、・・・・結局「逃げる」事が、最善策に思えて仕方が無い。
 と言う事より、逃げるしか、「抗する手段」を、我々は持ち合わせていないのだと思う。
 そして、「逃げる判断」は情報である。
 詰り、災害に対する備えの根本は、「情報」となる。
 3.11の場合、・・・・東京でも、その揺れの異常さから、尋常では無いことは判断出来た(揺れと言う体感が情報)。
 ところが、福島県宮城県の海岸線が、津波で飲みこまれてしまうことなど、思いも出来なかった(情報無し)。
   (未だに 揺れの体感と あの沿岸各地の地獄絵が 結びつかない)
   「揺れ と 津波
これを繋ぐ情報の、
  ・その速さ
  ・その規模と言う情報の質
が、もっともっと瞬時であり、的確であれば、「逃げろ 逃げろ」の大合唱の人間津波で、人命は相当数救えたのではないか、・・・・。
 地震発生の予知は難しいだろうが(情報化は困難)、・・・・発生後の影響度の情報化は、出来るのでは、・・・・。
 3.11の大教訓は、「逃げろ情報」の、余りの未熟さであった。
 その部分にもっと、焦点を当ててもいい、・・・・いや、そうするべきである、・・・・そう思う。
 つづく。

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