12月20日 火曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
号 泣
*号泣(ゴウキュウ) : 大声で泣くこと
昨日、北朝鮮の金正日氏が、亡くなったとのニュースを聞いた。
ニュースは、瞬時に世界を駆け巡った。
テレビで見る、北朝鮮国民の、泣き崩れる様は、まさに「号泣」そのもである。
「泣き屋」とか、「泣き組」などの人達がいるとか、いないとか言われるお国だから、下々の民までが、号泣しているかは分からない。
ただ、お隣の韓国の皆さんを見ていても、災害などに遭遇したとき、号泣する姿をよく見かけるから、国民性の違いが、あるのだと思う。
号泣で、思いだした事がある。
パブバーを、営んでいた頃の話である。
とある証券会社の支店長さんが、函館に転勤する事になった。
送別会を、私の店でやってくれる事になった。
証券会社だけに、若い女性も沢山見えた。
主役の支店長が、挨拶に立った。
突然、一人の女子社員が、「号泣」し出した。
そしたら、連座して、女子社員全員が号泣するではないか。
「へえ あの支店長 こんなに 人気が 有ったんだ 凄え凄え」
と、すっかり感心してしまった。
と思っていると、・・・・どうだろうか、5分も経たない内に、支店長さんの事は、すっかり忘れたように、カラオケに興じ出したのだ。
笑いに、笑いコケながらの、大騒ぎがである。
あの、ハンカチを濡らした号泣は、一体何だったんだろうか、・・・・。
号泣も、ファッションなのか、・・・・。
以来「号泣」は、どうも信じられなくなってしまった。
もししたら、北朝鮮の場合、号泣は「強制的ファッション」かも知れない、・・・・まさか。
今から48年前、私の母は52才で他界した。
「押し殺した涙」に、暮れた事を、思いだす。
押し殺す涙の方が、悲しみを深く、掘り下げてくれる・・・・こう思うのは、年のせいか、・・・・。
つづく。