勝俣部長の「高尾山と健康体質作り」・・・・振(ブ)れあい

12月9日 金曜日

                           



        (「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
触れ合い と 触れ合いたく無い 心 理 


 我々は、ときとして「二律背反(ニリツアイハン)」の、精神を持つ。
 主として心の中で動く、触れ合いたく無い「心理」と、・・・・触れ合いを求める「心理」。
 団地の集会などを見ていると、大抵の人は、前の席に座らず、後ろの席に着く。
 進行役さんが、皆さん「前に、前に」来て下さいと、何回言われようが、後ろの席に、隠れるように座ってしまい、なかなか離れない。
 電車が、ガラガラ状態のとき、見ていると、大抵の人は、先ず端っこの席を求める。
 ど真ん中に座る人は、ほとんど見た事が無い。
 それどころか、「人と人に挟まれた形」で座ってる人は、端っこの席が空くと、素早くその席を目掛ける。
 中には、かなり遠方から、馳(ハ)せる人もいる。
 実際、勝俣部長なんかは、電車に座っていて、自分の両隣の席はもとより、前の席も、一つ先の区分の席も、一杯空いてるとき、無神経にも・・・・ナゼカ ムシンケイ ニ オモウ ノダ・・・・私の横に来て、座られると、
   「何だ、こいつ 向こうだって 前の席だって 一杯空いていじゃんか 何を考えてるのだ」
などと、心の中で、ブツブツと、恨んで見たりもする。
 こと左様に、人は、人から離れたがる、心を動かす。
 多くの老人クラブや、養老施設などで、好んで使う言葉がある。
 使い過ぎだ、の感さえ抱く。
  ・触れ合い、触れ合う心、だ。
 この、触れ合いを「旗印」の、「何々の里」などと呼ぶ、施設が多い。
 触れ合いの心、触れ合う心・・・・何となく、人間同士、確かに、心に抱く感情であるのだと思う。
 こと左様に、人は、人を求めて、心を動かす。
 心を動かし過ぎて、刃傷沙汰的な事件にまで、発展する養老施設もあるから、「言葉と心と行動」の調整は、微妙に難しい。
 現職の、政治家さんの集まりは、どんな心の風景と、展開を見せるのか、・・・・大変興味が沸く。
 ニコニコと歩み寄り、触れ合いの心を披露する、・・・・が、オイ、オイ、本当か・・・・。
 さ〜あて、今宵の酒は、どこで飲もうかな。
 あそこの店にすっか、・・・・あそこなら、多分、ふ触れ合える気もするし、・・・・触れ合わなくていい、気もするし、
   この、触れ合いの中途半端さ
が、ちょうどいい気がしてならない。
 人間って、不思議だ。
 つづく。

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