10月28日 金曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
有識者会議 も 多用すると
最近、「有識者会議」が、やたらに多い気がする。
民衆党政権になってから、特に多くなった気がするが、実際はどうなんだろうか。
有識者と言われるくらいだから、それぞれに高い教養と、際立った専門性を有した皆さんの会議である。
だから、一般庶民の私などは、そこで出された意見は尊重され、従いなさいと言われれば、素直に頷(ウナズ)くしか無い、・・・・のだと思う。
ところが有識者同士でも、意見が正反対に分かれる事がある。
正反対はともかく、意見の違いはかなりあるのだと思う。
そうなった場合、・・・・もし、多数決方式で決めたとしたら(そんなバカな事は無いだろうが)、有識者会議って意味があるのだろうか。
イヤイヤ、皆の意見が一致したとして、・・・・その答申された意見を、尊重してしまう、・・・・まあ、この尊重まではいいが、・・・・そのまま実行したとなると、これって、本当に正しいのだろうか。
と言うより、総理レベルでは、識者の意見など必要としてはいけないのである。
例えば、今、論議沸騰中の、TPP(環太平洋戦略経済連携協定)なる交渉に、日本は参加するべきか否か、・・・・こんな問題のときは、有識者ってなんだろう思ってしまう。
今日、政府レベルに望みたいのは、識者の知識と言うより、時の総理の信念とか、思いとか、・・・・メラメラと燃える心とか、沸き上がる理想とか、そんな要素を、・・・・イヤ、そんな「素養もった総理」が、必要ではないかと、私は思ってしまうのだが、・・・・。
確固たる信念を持ち、突き進んで行くのは、当然な結果として、激しい孤独感に襲われると思う。
ただ、政治家が孤独を恐れて、「識者の意見がこうであった」から、とする、・・・・そんな安全パイを、背後に置きたいとする狙いから、有識者会議を多用するとしたら、総理大臣などを置かないで、有識者会議をそのもを、総理の名代にしてしまった方がいい、・・・・ただ、リーダーシップ性無き、そんな識者集団は絶対に機能しないと思うが、・・・・。
混乱期に必要なのは、会議とか合議では無くて、「首相の決断」である。
最近の総理大臣が軽く見えてしまうのは、・・・・この決断の無さが、そうさせてるのだ。
「最低でも県外」と、大見得を切った総理がいたが、あれは決断でも何でも無く、単なるその場主義の産物に過ぎない。
もし「決断」であったとしたら、その収拾の不手際さから、昔なら切腹、・・・・今なら、政治家稼業を廃業すべきである。
切腹制度が無いのだから、何も恐れる事は無いと思うが、・・・・政治家を廃業するのが嫌だから、・・・・結局、「有識者会議」を多用してしまう、・・・・こう考えたくなってしまうは、・・・・我、一人であろうか。
男なら、決断なさりなさい。
つづく。