5月7日 水曜日
旧:鰍沢町・・・・5~6地区所有の山車祭り(同級生との古希の祝いの表紙を撮影)
天才老人美しさを求め行く
栗せんべい
天才老人凡句楽(ボンクラ)・・・・高校1年生まで生活していたのが!
・山梨県南巨摩(コマ)郡鰍沢町(カジカザワチョウ)(現在の富士川町)。
当時の交通の要は川・・・・中でも一級河川「富士川」は、超盛んだった模様。
静岡県から上り・・・・山梨県側のターミナルステーション(船着き場)が、鰍沢。
宿場町として、往時は凄い賑わいだったらしい・・・・!
そのためか、この田舎町!・・・・町政を敷いたのが!
・明治29年8月
・125年前には・・・・既に村から町に昇格(山梨では甲府に序で2番目)
*田富なんかはずっと村のまま・・・・今、中央市とか言うが、その実態は村!
住んで居たのは、この町では・・・・イヤイヤ、山梨県下でも有数な荒物問屋さん。
(この大家さんの荒物仕事を手伝った事が・・・・後の私に激しく影響する、そう思う)
その離れを借家していた。
推定するに父親警察官・・・・住むだけでガードマン効用が有ると、見込まれたのだと思う?
道路に向かい、右隣・・・・松月堂(ショウゲツドウ)なるお菓子屋さん。
このお店の「栗せんべい」・・・・滅茶苦茶美味かった。
隣と言えでもタダでは手に入らない・・・・このお菓子屋さん、苗字を「保坂」さんと言う。
・姉と同級生の男子(昭和14年生まれ)・・・・後に3代目を継ぐ(故人)。
・その妹(17年生まれ)・・・・18年生まれの私と学年も近く取り入る(営業活動実施)。
かくして規格外商品・・・・詰まり破損した、欠片(カケラ)品の少々を手に入れる。
その美味しさ・・・・夢の如しであった。
このお菓子屋さん、今でも健在なのは・・・・ちっくい頃感じた、アノ味の良さ!
後の世の万人に、受け入れられている・・・・その証明ではないのか!
何と、その栗せんべい・・・・当ブログの筆頭コメンテーター「深大寺螻蛄・・・・様」
私以上にファンだったとは・・・・田舎村田富も、まんざら捨てたモンじゃ無いと。
この度のご恵贈・・・・誠に有難うございます。
取り急ぎ・・・・ブログで御礼申し上げさせて戴きます。
それにしても様々に不思議な縁を・・・・深大寺様には感じます。
★旅は(人生は)道連れ、世は情け・・・・人に尽くし、人に学ぶ(凡)
つづきます。
とにかく食い物の無い時代であった・・・・アノ当時から水が主食だったのか、まさか!